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David Holzman's Diary
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『David Holzman's Diary』に投稿された感想・評価

作品の概要を見て興味を持ったけど、アイディア勝負って感じながらも中々面白い内容ではあった。

この映画はタイトル通りデヴィッド・ホルツマンという男が日記としてフィルムを撮るという設定のフェイクドキュメンタリーになっていて、露骨にカメラの存在を意識したような描写が多くて少し気になったけど逆に撮る行為自体に意味があると思える場面も多くてそこは良かった。

フェイクドキュメンタリーらしく虚構と自然の判断がつきにくい場面や自然的風景の中に虚構が入り込む場面も結構あって、その点も面白く感じられた。

皮肉的なラストも悪くなく、虚構の人物の日記映像という実験性だけでなく映像に取り憑かれた者の行く末というテーマも現在のインスタ映えを求める人間とかyoutuberに通じるものがあって、映像が手軽に撮れる現代を生きる者として中々身につまされる作品だった。

その意味で67年製作とは思えない先見性もあり感心するのだけど、この監督のフィルモグラフィを見ると初期の作品以外は普通のドラマ映画の撮影に甘んじてしまったようで少し残念。(初期にやるだけやって飽きてしまったのだろうか)
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

3.5
【元祖youtuberのイキり日記】
「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載の謎映画、結局本誌読んでもなんで重要なのかが分からないことが多いのですが、最近発売された遠山純生の「〈アメリカ映画史〉再構築 社会派ドキュメンタリーからブロックバスターまで」には『クール・ワールド』や『ワンダ』、『ブレージングサドル』といった作品の解説が載っておりフルマラソンの副読本として役に立っている。さて、今回は元祖フェイク・ドキュメンタリー、元祖youtuber映画として囁かれている『デイヴィッド・ホルツマンの日記』を観てみました。

映画監督を志す青年が、ゴダールやヒッチコックのスチル写真とフィルムに囲まれた部屋でカッコつけながら映画について語る。ゴダールの『小さな兵隊』の言葉「映画とは何か?映画とは一秒間に二四コマの真実だ。」と引用し、冷え切った恋人ペニーとの仲や身近の様子を捉えていこうとする。車に乗り、何気なく捉えられる街並みや何気ない生活の肖像画が妙にカッコいい。またyoutuberはよく部屋の中でずっと喋っていたりするが、この映画青年デイヴィッド・ホルツマンは寝室を右往左往動き、ペニーのポスターを魅せたりしながら自分語りをしたりするダイナミックさがある。この時点で、デイヴィッド・ホルツマンがいかにシネフィルかがよく分かる。そして、その自分語りやイキリ顔の気持ち悪さがゾワゾワする。youtubeでカップルがいちゃついている動画と近いゾクゾクする魅力がこの映画にはあります。

本作は1967年の映画にしては今のyoutube動画を完全に再現している点で衝撃的だ。魚眼カメラで街を撮る様子は、ストリート系youtuberがGoProで自分の世界を捉えようとしているのにも近い。また、独りよがりであり退屈なのだが妙な癖があるのもyoutubeの日記動画に通じるものがある。さらには撮影中に喧嘩する場面があるのだが、これはニコ生中に親が乱入してきたりして炎上する動画を彷彿とさせる。

そのような点で、youtubeやニコ生、TikTokなどで日記動画を撮っている人に超絶オススメしたい。正直、部屋や寝室の空間を活かせていない動画が多すぎる。固定カメラで部屋を映すにしてもこんな魅せ方があることを知れる点、この映画が「死ぬまでに観たい映画1001本」に掲載されているのは納得である。
No.480[虚構と現実の間に生まれた世界初のユーチューバー] 80点

こういう誰も見ていない作品に対するレビューを書くこと自体が私の非線形天邪鬼な心をくすぐる出来事である。ので、あまり私らしくもないが、楽しんで背景知識を調べていた。調べれば調べるほど(そんなに調べてないけど)、本作品の奥深さというか、言わんとする事を理解できるようになるのはやはり楽しい。残念ながらエンタメ性はクソほどもないから、映画自体は退屈だけど。

冒頭、主人公デヴィッド・ホルツマンは物、人、事象すべてに意味があるように見え、ゴダールの言う”映画とはなにか=1秒に24回の真実”を使ってそれらの意味を解明しようとする。しかし、その過程において恋人ペニーのヌードを無断で撮影した廉で別れを突きつけられ、向かいのマンションに暮らす”サンドラ”と名付けた女性について夢想し、ニューヨークの街にカメラを持って出掛ける。しかし、映画によって真実を得ようとするあまり、映画によって真実から遠ざけられ、最終的に機材を盗まれることで総てを見失う。何もなくなったホルツマンはポートレートのみになり、バートルビー症候群に陥り、映画は終わる。

世界初のフェイク・ドキュメンタリーと言われているが、本作品はドキュメンタリーに対する皮肉を突きつけている。60年代後半のドキュメンタリー界隈はジガ・ヴェルトフに始まった”キノ・プラウダ”に起源を持つ”シネマ・ヴェリテ”やそれがカナダやアメリカに渡って新たな手法となった”ダイレクト・シネマ”などの手法があった。前者はカメラや監督を意識させ、後者はカメラの存在を極力消すという違いがあるらしい。前者はクリス・マルケルなどパリ左岸派、後者はメイスルズ兄弟やペネベイカーなどがあげられる。マクブライドはこのシネマ・ヴェリテに関して強烈な皮肉をぶつけている。彼らの言う”真実”は前出の”1秒に24回の真実”であるが、本作品はフェイクであり、ホルツマンの真実は虚構でしか無い。

といっても全部がフェイクというわけでも無い。というのも街の情景や下の階の女はおそらくリアルだし、望遠で撮影しているサンドラの素が出るシーンもフェイクとリアルの間を揺れているシーンである。しかも、それ以前に”カメラで撮影している時点でリアルではない”とホルツマンの友人(?)は言い切る。現実と虚構で常に揺れ続ける本作品はシネマ・ヴェリテに対する皮肉を越えた、人間の人生に対する深い洞察=リアルのフェイク性、フェイクのリアル性を提示しているのかもしれない。

本作品は、自分に向けたカメラにベラベラ喋る男の映画であり、後のYouTuberを予見した映画なのかもしれない。私は彼らの美化された人生など興味が沸かないから見ないのだが、昨今の子どもたちの憧れらしい。まぁ、敷居が低いように見えて、普通の職業よりも大変だろうから頑張って。

先述の通り、エンタメ性は無いが、私の心は満たされた。たまにこういうことをするのは精神衛生上よろしい。