あなぐらむ

濡れた壷のあなぐらむのレビュー・感想・評価

濡れた壷(1976年製作の映画)
3.9
ロマンポルノの巨匠・小沼勝の訃報が入ってきた。お悔み申し上げます。

本作は小沼と谷ナオミの黄金コンビが放つかなり面妖な一作。ナオミ様は新宿のバーのママ役で、珍しく普通の洋装が多くて新鮮。
往時の甲州街道付近を見る事ができる。
宮下教雄の脚本は散文の様で正体が掴めないが、ナオミ様が存在するだけで匂い立つ様な色香と艶が立ち込め、たちまち映画として成立してしまう。要所の歌謡曲が神代的。マネキンの無機質な感じが低温のエロを漂わせ、ちょっと悪夢イメージでもある。
「花と蛇」「生贄夫人」はSMという肉体的精神的隷属/支配を描いて今も小沼勝といえばそういう印象が強いが、彼も団鬼六もんを多く手掛けている西村昭五郎も、SMそのものに興味を持っているのではない。西村はどちらかというと絵面としての面白み、ダイナミズムを清純的にブレイクダウンさせているが、小沼のそれはもっと精神的なものであり、「おんな」そのものを描こうという試みを続けていたという気がする。ロマンポルノにおける初作「花芯の誘い」から一貫して、性の迷宮にヒロインを置き、或いは男の関係性の中で煩悶させて、その様を映像に残してやろうという、言ってしまえば本当の助平親父の心性で持って、女優たちの裸体と痴態を撮ってきたのではないか。有名なご本人自ら演じて見せる艶技指導は、「そういうものが見たい」というはっきりした意思表示である。能動的なスケベというか。
本作で小沼監督が欲情している(失礼な奴だな)のは、マネキンという究極の無機物と谷ナオミという圧倒的肉体との対比である。これはSMが縄やらなんやらを使う様式美であるのと違い、至極映像的なギミックとしてある。基本的に職業作家であろうとする小沼監督の譲れない一線は「おんなの艶」を描く所だった。それゆえ殆どの女優から「ねちっこかったw」と言われてしまうのである。これはとても良い事である。最近の成人映画はとにかく絡みがぬるいのが多すぎる。ゴア描写をする意味がない。小沼監督の撮ったものは、今見ると結果的にゴアである。グロテスクと言ってもいい。そういうものが「映画」なのである。

宮下教雄は東映「ずべ公番長」のシリーズ作家でもあるので日活でも新宿が舞台が多い。「不良少女 野良猫の性春」も本作も、ロケ地が被っている(まぁそれは助監督の仕事ではあるが)。所謂旧・青線辺りである。

井上博一の出ている映画は大抵不穏だが、本作も同様である。出てきた所からもう不穏である。この人の佇まいは小沼監督の目線のありようを感じさせる。ロマンポルノに欠かせない役者である。