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アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

1950年代後半のドイツ。ナチスによる戦犯の告発に執念を燃やす検事長フリッツ・バウアーのもとに、数百万人のユダヤ人を強制収容所送りにしたアドルフ・アイヒマンの潜伏先の情報が寄せられる。ナチス残党が巣食うドイツの捜査機関を避け、イスラエルの諜報機関モサドと接触したバウアーは、アイヒマンを追い詰めていくが…。

冒頭、アイヒマンはインタビューで「敵(ユダヤ人)を全滅できなかったのが私の罪だ」と静かに語る。
なんと腹立たしいことか!
一見普通の中年男性に見えるアイヒマンの狂気がこの一言で伝わる。
とんでもないサイコであり、人類の敵である。
こんな人間を許してはおけない!
映画のツカミはバッチリだ。

第2次世界大戦後、海外へ逃亡したナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの捕獲作戦を実現へと導いたドイツ人の検事長フリッツ・バウアーがいかにしてアイヒマンを追い詰めていったかを描いた硬派な実録ドラマの秀作だ。

アイヒマン逮捕に執念を燃やすバウアー検事長と、唯一彼の捜索に協力する若き検事アンガーマンのコンビは、まるで足で稼ぐ頑固なベテラン刑事と汚職とは無縁の正義を貫く若い刑事のように見え、世代を超えたバディのように映る。

アイヒマン逮捕により過去の罪を問われるのが恐ろしい元ナチス親衛隊の連邦局長やクライトラー上級検事が、2人をあの手この手で妨害してくる。
同僚が足を引っ張るのだ。
当時、ナチス残党が東西ドイツの要職に多数存在していた政情がいかに腐敗したものだったのか、良く分かる親切な作りである。

検事局長はTV出演で若者たちへ向けて自分の信念を語り、同性愛者として悩む部下アンガーマンにも親身になってアドバイスを与える。
イラついた厳しい口調でひっきりなしにタバコをふかすバウアーは、一見、無愛想で無骨なキャラだが、少しずつ露わになるその個性は「理想を胸に抱く仕事熱心な上司」。
どことなく戦後からの復興を目指す昭和の男を連想させるため、日本人としてもその人間性に魅了されずにいられない。
思えば、髪型はともかく、死んだ私の親父もこんな感じの頑固オヤジだった。

執念でアイヒマンがブエノスアイレスにいる事を突き止めたバウアー検事長が、逮捕のためにモサド高官と会うが、もう一つ確固たる証拠が欲しいとの言葉に、元ナチスであることを隠すアイヒマンの部下を脅して、現在の偽名を聞き出す。

イスラエル諜報機関モサドに情報を提供するという大胆な行動は、それが露見すれば、バウアーは国家反逆罪で刑務所送りになる。
目的のためには手段など選ばぬ所が、またカッコいい。

その証拠によって、ようやくアイヒマンはモサドによって捕獲されるが、ドイツ高官(政府)は身柄の引き渡しを拒否。
アイヒマンがドイツで洗いざらいぶち撒けると困る者が大勢いるからだ。
バウアー検事長が望んだドイツでの裁判ではなく、アイヒマンはイスラエルでの裁判を受けることに。

また旧ナチス残党の企みにより、アンガーマンはハニートラップ(ゲイバーの歌姫)に引っ掛かり、バウアーの立場を危うくするが自ら自首してバウアーとの関係を断つ。
上司に迷惑をかけることを恐れた部下としての心遣いが泣ける。
味方を失ったバウアーの前に、意気揚々と現れた元ナチス親衛隊だったクライトラー上級検事の握手を拒否し、新たな戦いを宣言して映画は終わる。
(史実ではアウシュビッツ裁判の立役者となるのだが)

何が彼をここまで突き動かすのか?
バウアー自身が戦時中に逃亡を強いられたユダヤ系ドイツ人であったために、彼のことを「復讐心に燃えているだけ」と揶揄する人もいた。
「戦前のことは戦前のこと」と割り切り、ナチス時代の罪を振り返ることのない国民が多い中、自国の過ちに目を向けさせるバウアーの行動は歓迎されるものではなく、彼は孤独な闘いを強いられる。

それでも彼がナチスの罪を裁くことに固執した理由。
それは映画の冒頭に流れる、生前に撮影されたフリッツ・バウアー本人の映像が語っている。

彼の願いは、戦争を忘れつつある人々、そして戦争を知らない若者たちに、自国の罪を知る勇気をもってもらうこと。
そして二度と過ちを犯さぬ正しい未来を作ること。
国を愛するからこそ、戦争の罪から目を背けてはいけないのだ。

軍国主義に囚われていたにも関わらず、戦争を忘れたかのように平和を享受する我々日本人にとってもバウアーの抱く理想には考えさせられるものが多い。

華はないが鬼の検事局長の不屈の魂に魅せられる。
戦後ドイツの混乱期を生きた男の執念を描いたドラマとして見応えがある。
それと同時に、生真面目な国民性さゆえにナチスを産んだドイツ国民の内省的な側面が伺える作品である。
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