ルサチマ

草叢/不倫団地 かなしいイロやねんのルサチマのレビュー・感想・評価

5.0
2回目 2020年3月26日

この狭い室内を駆使して完璧なフレーム内フレームを生み出す凄さと、中盤でようやく夫が戻ってきたとき、それまで宙吊りにあった団地の部屋が接続し始める。脚で旦那の靴下を脱がせて大事な話ははぐらかすのは、決して優しさなどではない。相手に対して謝罪をさせないいじらしさであり、言葉を抜きに再び親密さを獲得せんとする身振りとして描かれる。

言葉による音声こそが、この1時間弱の映画の中で繰り返し観客のもとへ届くのはゴミの廃品収集のアナウンスや、室内へ届く子供たちの声からも明らかだ。常に愛されざる者たちである彼らの間にはやかましく、そして時に官能的な音声が媒介とせざるを得ない。

だが、前述した靴下を足で脱がすという言葉による音声と無縁の身振りが機能して以降、廃品の音を流しても相手にされなくなる。

ここまでの記述によれば、この映画において言葉による音声を介さない身振りが互いの親密さにおいて必要であるように思われるかもしれないが、堀禎一は決してそんな単純な主題を用意はしない。

速水今日子が務める工場で資本主義に対するマメ山田の拙い演説に速水今日子が右に倣えでバンザイをする。この瞬間、この世界は途端に異化される。

不倫相手が団地妻を待ち伏せをすると、最早互いの心理を思いやるような気遣いは消え失せ、言葉通りのアクションとして肉体が動き出す。階段で「私たちこれからセックスするんです」とマンションの住人に告白するのは、その文字通りの実行が観客には暴力的な音声として響いてくる。

映画前半、室内に耳障りの良い音声を媒介として、常に宙吊りの空間の中で生きてきた速水今日子は映画中盤、帰宅した夫により空間は接続され、耳障りの悪い愛人の話を聞く。
そしてそれは極めて現実的な、どこから聞こえる子供たちフィクショナルな声とはかけ離れた生々しい音。

その音声と社会の異化に対して男たちのように女を言い訳にする図々しさを持ち合わせることができない速水今日子は「嘘でええやん」と、再びあのフィクショナルな言葉を頼りすることしか出来ないのだと語る。

ラストショット。異化された音声としての仕事の留守電を無視はするが、窓を開けて引き寄せる音声は最早子供たちの声など聞こえはしない。

だが『弁当屋の人妻』での白いカーテンが外の世界へ渡るものであるように、ここでもまた白いカーテンは存在する。

この先にある社会とは一体いかなるものか。
都合の良いフィクショナルな世界でもなければ、きっと異化された資本主義社会でもないかもしれない。その白いカーテンの外に広がる世界へ出る時、映画は一応の終わりを告げてしまい、何がその先にあるのかは明かされることはない。とりあえず、あのラストショットにあった白いカーテンとそこから聞こえてきた音声に我々はじっくり鑑賞し、劇場の外へ出るしかない。


1回目 2018年9月28日 @シネマヴェーラ

基本的に濡れ場は好きじゃないのだが、堀禎一の濡れ場は惚れ惚れする瞬間がある。
バイト先で堀禎一をみていたら「職場でピンク映画見ちゃダメよー」て社員さんに怒られた。
ルサチマ

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