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50年後のボクたちはのotomisanのレビュー・感想・評価

50年後のボクたちは(2016年製作の映画)
3.3
 直感的に湧いた思いを記したら、これ以上書けなかった。
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"あー"
"未だクソ"

"13歳児は御覧"
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これではさすがに品位を問われるか。しかし、年を取っただけでは愚行を抑えきれるものではない。それでも少々の事ゆえ、消し去れぬ子供心の発露などと照れ隠しを図るのだが、やはり違う。賭事、暴走、暴飲などなど危険を乗り越える仄暗い欣快さには、過ごしてきた時間の澱のような物の付きまといを感じてしまう。失敗には勿論、成功事にさえ汚れは付き物だから。で、未だに...なのだ。
 では14歳児にあっては?
もちろん幾つであろうと人間、屈託無しには済まされない。ではワシと変わらんではないか、と言うと違う。第一やっと初犯だし。若いし。幼稚で足りないし。単純なものの方が回復も早いし。何より新奇な未知な物事が豊富だし、その中には分別とか知恵とか価値観とか良くも悪くも生きる術への取っ掛かりが含まれるのだ。しかし、年を取るとなぁ、”あーあ”と思う次第である。
 過去のある人生は人間に幅を与える。当の二人はと言うと、表と裏の違いはあれど、ラーダ泥棒起点の人生だ。いけ好かない親父の三行半も堂々と受け止め、飲んだくれママを大事にして暮らすのだ。で、相棒は? 彼の屈託も行く末も、これは問わぬが華。ともかく、幸多かれ。13歳の頃、二人がこの映画を見ないで済んだことは先ず幸いだ。で、50年後? 鬼が笑うぞ。
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