このレビューはネタバレを含みます
2019年2月22日の感想。
昨日は『ファースト・マン』を観てきた!
二度目の鑑賞だ!
今回はとっても楽しめた!
正直、一昨日の鑑賞は心がピクリともしなかったんだ。実写版『デビルマン』でも観といたほうがなんぼかましで、こんな映画で「感動した!」とか言ってるヤツは感性の死んでるクソ野郎じゃないか?って気分だった。
っていうのも、全ての演出が鼻について鼻について仕方がなかったからなんだ。
で、いったい僕はなんでこんなに反応しているんだろうかと今日は1日考えてたんだけど、それはどうやら“視点”についてのようだった。
そう、この映画って、いろんな視点が出てくるのね。
まずは映画らしい神の視点。
そして、定点カメラの視点。
さらに、報道カメラの視点。
特徴的なのは密着ドキュメンタリーカメラの視点。
そしてこの映画の視点はここで終わらなくて、密着ドキュメンタリーよりもさらに密な、“覗き見視点”が出てくるんだ。登場人物の生活や内面を覗き込むような視点だね。
でね、この覗き見視点なんだけど、密着ドキュメンタリーの延長として違和感なく観れるときもあるんだけど、ニール夫妻のやり取りを描くときにも使われていて、ここでの覗き見視点がしんどいの。
なんかね、ここでこの視点が出てくると、とてもプライベートな夫婦関係を覗き込んでいるような感じになって“不誠実な行為に加担してるんじゃないか?”という罪悪感みたいなものが沸いてくるんだ。
昨日の鑑賞で僕が引っかかって素直に喜べなかったのは、この罪悪感が沸いてきたからみたい。
でもさ、この罪悪感って、こうした映画には必要なものだと思うんだよ。だってさ、確かにニールは英雄だろうけど、ひとりの人間であるわけだよ。そして僕らは、そのひとりの人間に起こった出来事に迫ろうとするわけだ。それはその人の人生に潜り込んでいくわけだから、そんなに品のある行為じゃないだろうな。
で、もちろんこうした“個人の内面に踏み込む失礼さ”みたいなものを全く無視して、単なる美談として、ショウとして見せつけることもできただろうけど、この映画はそうじゃなかった。
覗き見視点を巧みに使って、観客に“不誠実な行為に加担しているんじゃないか?”という罪悪感を抱かせてるんだ。
思えばこの不誠実な罪悪感っていうのは、この映画の、っていうかこの出来事のひとつのテーマになっているのかもしれないな。
ニール夫妻の間に起こったこと、ミッションで犠牲者を出してしまったこと、政治的な理念にまつわること、人が宇宙に行くことで犠牲になったたくさんの人たちのこと・・・。 そうした“不誠実な行為に加担しているんじゃないか?”という罪悪感みたいなのを、直接的ではないにしろ、視点を通じて感覚的に表現しているのは凄いことだよ。
ああ。できればIMAXで観たかったな。