Inagaquilala

ラプラスの魔女のInagaquilalaのレビュー・感想・評価

ラプラスの魔女(2018年製作の映画)
3.3
やはり映画監督には得意不得意のジャンルがあるように思う。東野圭吾のミステリー小説を映像化したこの作品だが、残念ながら監督はあまりこのジャンルの作品は得意ではないと見られる。原作は著者にとっては、なかなかの意欲作で、事件の背景や人間関係、そして過去との関わりなどかなり複雑なストーリーが展開される。そのうえ、未来を予見できる少女(「ラプラスの魔女」)も登場して、かなり巧緻を尽くしたストーリーテリングが要求される。

ミステリーは謎解きに至るまでの、かなり論理的な構成が要求されるが、これを映像でやるとなると、かなりの技が要求される。アクション系の監督が、ミステリーに挑戦すると、この筋道立った映像の運びがネックとなることが多い。つまり、ミステリーを牽引する謎解きの過程がおぼつかないのだ。キャスティングの関係か、作品では、事件を捜査する刑事ではなく、現場を調査する研究者がストーリーの展開の中心にあるのだが、この設定がやや展開を覚束ないものにしているようだ。

加えて未来を予見できる少女。この立ち位置も微妙だ。かなり原作を整理する必要もある作品ではあるのだが、そのあたりがうまく機能していないような気がする。アクションが得意な監督らしく、そのあたりをクライマックスに近い場面で、派手な展開で多少強引に畳み込むようにしているが、やはり物語の展開への物足りなさを感じる。脚本家の責に負うのももちろんなのだが、やはりミステリーの映像化には、論理的な組み立てが重要であると感じさせる作品だった。
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