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ワンダーウーマン 1984のKITAYUMASSACREのレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン 1984(2020年製作の映画)
2.0
映画というのは1シーン1カットが必然性を持って繋がっていなければならないメディアだ。もしも必然性のないカットを1つでも入れようものなら、観客は異物を飲み込まされたような気分になるだろう。
しかし映画以外のメディアではこの「繋がり」は大して重要ではない。極端な例を出せば1話完結の作品であれば全く繋がりのないエピソードを一つの作品の中に入れ込むことが可能である。しかし映画は一つの作品の中に全く関係のないエピソードを、エピソードおろかシーンやカットでさえも入れることができない。その掟を少しでも破れば、映画は「ワンダーウーマン 1984」のような悲惨な出来になってしまう。
「ワンダーウーマン 1984」では複数のエピソードが交互に描かれる。ワンダーウーマンと生き返ったスティーブのロマンス、全能の神になろうとする悪役の計画、願いを叶える石で欠点を克服したバーバラ。
この3つのエピソードはこの映画のテーマという意味では繋がっているものの、テーマが同じだからと言って映画として繋がるかと言うとそうはならない。テーマが同じエピソードを並べて映画になると言うのならば、貧困問題を扱った2つの映画を編集して1本にすればいいと言っているのと同じだ。
問題は彼らの目的や視点がそれぞれバラバラだということだ。ワンダーウーマンはスティーブにメロメロだし、悪役は全能の力を手に入れることに必死だし、バーバラは変貌を遂げた自分自身にメロメロだ。これらのエピソードが一堂に会するのはラストもラストである。
この映画には支柱がない。よって映画として何を拠り所にして見ればいいか全く分からないのだ。しかしこれがドラマならばまた評価も変わってきたことだろう。
あとこの映画のテーマにも文句つけたい。「ありのままが美しい」って何...。序盤の悪役の悲惨な生活事情を見てもありのままだから美しいと言えるわけ...?ラスト、空に飛翔するショボい合成のワンダーウーマンを見て宗教か?と思ったのは俺だけなのだろうか。
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