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ファントム・スレッドのmochiのネタバレレビュー・内容・結末

ファントム・スレッド(2017年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

めちゃくちゃ好きなわけではないけど、考えれば考えるほど深みの出る、いい映画だと思う。
phantomというのは、ウェディングドレスを作成した相手である母親が早く死去してしまったこと、そしてその母親の仕事を継ぐことを運命づけられて、ドレスメーカーになったことなどを指すのだと思う。彼は母親から解放されないまま大人になってしまった。だから彼は愛を知らない。愛を知らないから、愛した人を道具として見る以上のことができない。普通のカップルなら気に入らないことを言い合ったりして、それでも感想を得るために相手を離さないようにするが、レイノルズは姉を母代わりにして育ってきており、仕事も姉と一緒で、一緒に住んでいる。だから、彼女が安息になってしまっている。通常どこかで母親からの離脱が起きるはずだが、レイノルズは起きてない。しかも、愛する人を自分の家に住まわせるので、必然的に上下関係ができるので、愛する相手の話を聞いて、譲歩するのということができない。
このような「母」というphantomから逃れるためには、新たなphantomが必要でそれをアルマが担うことになった、ということだろう。映画の冒頭とラストにタイトルが出てくるが、冒頭は見辛い字体、ラストは美しい自体である。これは要するにphantom は存在し続けるが、それが以前のものとは全く異なるものであることを示唆しているのだと思う。
この映画をホラーだという人もいる。また究極の純愛映画だという人もいる。バットエンドだという人もいるが、ハッピーエンドだという人もいる。どの立場の人の気持ちもわかるが、僕はこれは純愛ではないという立場をとりたい。それは先ほど言ったように、phantomの移行が起こっただけで、phantomの除去をしたわけではないからである。相手を対象化し、理解することがphantomの除去だが、これがなされてないように見える。この映画を純愛と呼びたくない人の気持ちの源泉は多分ここにあるのだと思う。
純愛だと呼ぶ人はおそらく二人の関係性から見て、判断している。つまり一人称視点的な愛で、愛は「感じるもの」として理解される。しかし、これを純愛だと考えない人は、三人称視点的な愛の理解を持っていて、愛は「あるもの」と考えている。つまり実在としての愛である。どちらが正しいとも間違ってるとも言えない。しかし自分の持っている特定の理解を顕在化さしてくれる点がこの映画の良い点なのだと思う。
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