そーいちろー

3-4x10月のそーいちろーのレビュー・感想・評価

3-4x10月(1990年製作の映画)
3.9
初期の北野作品は、本当に無駄なBGMが用いられない。そして極端なまでに日常と非日常たる暴力の放出が突然起こる。それはもはや日常と非日常が地続きである、とかそういうレベルではなく、日常の中にそういう暴力性が覆い隠されている、という確固たる哲学に基づいて表現されているように思える。草野球における、素振り、積極的にバットを振る、という行為があろうことかヤクザとの抗争めいたイザコザの中に転移していくとは思いもしなかった。チャカを手に入れようと異界たる沖縄へ行き、およそ社会通念上で言われる倫理観を持ち合わせず、自身の衝動のままに行動する武演じるヤクザと出会い、行動を共にすることで、もともと持ち合わせていた自身の社会と相容れない異常性が強化されていく様は凄まじい。合間合間に挟まれるおふざけや浜辺で戯れるシーンは、ソナチネ同様、どんな緊迫し息つく暇もないような状況においても人々が弛緩を求めてしまう、という本能を描いているように感じる。自身の滅びゆく未来が想起されるようなフラッシュバックシーンは見事でアランレネ的だし、草むらで戯れるような映像やジャンプショットで繰り返される野球シーンを表現するところはゴダール、と今までおそらく何度となく語られたことだろう。銃撃シーンにおけるスローモーションはペキンパーであり、ジョンウーである。しかし、そういう映画的な記憶とはまた別のところで、北野武の深い死生観に基づいた映像が映し出されるわけで、それはともすれば日常というもので覆い隠された死そのものだ。生きることの地続きに、それを乱暴に奪い去る死があり、それがまた日常を形成している、と言ったような感覚。冒頭のほとんど光の差さない草野球場に併設された、いかにも汚臭漂う便所に、ラスト、大炎上から映るシーンは、この映画は一体なんだったのか、自分はそれまで現実を観ていたのか、それともバッターボックスに立たんとするある男の長い妄想を観ていたのかと、当惑を覚える。
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