マーチ

ジョーカーのマーチのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.9
🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡

金持ちが一国のトップとなり、またある国では国の中に一定数を受け付けない堀を形成してその中の息がかかった者たちだけが利権を貪っている現代。

だとするならば、ジョーカーは社会が生み出した怪物であり、社会こそが怪物であるという皮肉的な一種のメタファーであり、象徴なのではないか。それをアメコミでやってのけてみせたというのが今作の特筆すべき点であり、アメコミという響きが、今作では最早おとぎ話(または寓話)という領域の、腐り切った社会を最も一般層(普段映画をあまり観ないライト層)にまで届ける1つの“手段”(=“着ぐるみ”)に思えてくるもんだから凄い。

いつの時代も貧困層がいるから富裕層が存在し、名もなき貧困者たちは彼らの目には映りもしない。それで果たして社会と言えるのか…現実にはヒーローなんて存在しないし、それでも誰かがヒーローを求め、ヒーローになりたがり、映画はヒーローを拵える。MCUやDCEUが映画に新たな可能性を見出したテン年代、最後に送り出されるアメコミ作品がそれらに反旗を翻す“単独作”であり、誰もがその名を知る架空の存在(ヴィラン)を主役にして、あのように危険で社会問題に満ち満ちた作品に仕立てあげたことの意味の大きさに震える。

もはや社会制度は弱者に優しくなどなく、弱者ですら弱者(同じ想いを抱える隣人)に優しくできない、構っている暇などない段階に突入している。少なくとも、自分が生きている間に社会が快方に向かうとは到底思えないし、持ち直せるタイミングはとっくに過ぎてしまったとさえ思える。そればかりか、社会はまだまだ悪い方へしばらく歩みを進めるだろうことは想像に難くない。それならいっそのこと、どこかで浄化しなければいけない。

偶然にも香港の惨状がフラッシュバックするシーンがあったり、アメリカ社会の闇が垣間見える箇所があったり、今の日本と重なる部分が多々あるこの映画は恐ろしい。アメコミという仮面を被って、ありのままの世界とその現実を映画的安らぎなくそのまま描いてしまったこの作品は、一種の狂気…というよりは、“凶器”にも似た鋭さとスマートさを放っている。だからこそ辛くて目を背けたくなるんだろうし、ありのままの現実を丸裸にして描くとどうなるか、この映画は成し遂げてしまったように思えてならない。自分もしばらくはこの作品に触れたくないし、どうしようもなく落ち込んでしまったけど、その力がこの作品にはあるということ。ありのままの現実を描くことが、どれだけ危険で、そんな現実の中でなぜ私たちは生きていられるのか。

いつかこの作品がどこか別の星の喜劇に思えるような、(明らかに正常じゃないのに取り繕って)表層だけが健全な社会などではなく、真の意味で無垢な社会になることを願うばかり。

トッド・フィリップス監督の演出にはいくらか凡庸なところがあって、あと一歩先へ踏みこめるんじゃないかと思ったりもしたけど、もしかしたらそうすることで映画的な飛躍をハイライトとして描かず、ギリギリのところで保つことによって、(茶化さずに)現実を直視させているとも取れる。コメディを撮り続けてきた彼だからこそ、笑いや喜劇と真剣に向き合うことで作り上げたのが全く笑えないこの作品だと思うから。(まあ、こればっかりはどっちか分からないので判断しようがなく、良いように解釈してしまったけど、個人的にはまだ前者としか思えない。)

ホアキン・フェニックスは毎回素晴らしい芝居をする人だけど、今回はそれをさらに更新する勢いだった。特にやっぱりなんと言ってもあの“笑い方”。笑いのバリエーションと、それに深みをもたせる凄味。あまりにも強烈で、未だにあの声が頭から離れない。

間違いなく今年(引いてはテン年代)を代表する一本だし、下手しなくても歴史に残る一作。この作品がヴェネチアの金獅子を受賞したのにも納得なのは、決して単純な娯楽作などではなく、社会性を凝縮して閉じ込め、人々を刮目させるアート映画になっているから。あの悲哀と高揚の詰まった美しいホアキンのダンスを見て、笑う人など誰もいない。

どこまでが真実で、どこからが妄想なのか?
稀代のトリックスター「ジョーカー」、彼にあやかるような幻想的で不確実な構成は、我々観客をも煙に巻き、現実と虚構の境を曖昧にする。本当に恐ろしく、凄い映画だ。
マーチ

マーチ