ねまる

シネマ歌舞伎 野田版 桜の森の満開の下のねまるのレビュー・感想・評価

3.9
「いやぁ、参った、参ったなぁ」
頭を掻くポーズをしながら、嬉しそうに。

いやぁ、怖かったなぁ。恐ろしかった。
愛とは呪うか、殺すこと。

阿弖流為、ナウシカ、これを見て、歌舞伎っていかようにも演出できる=骨があるんだなぁと圧倒よ。
つまりこれは本当に野田秀樹。演劇的。
私の解釈の苦手な演劇的かつ古典原作。
理解したかと問われれば、2割だと思う。
原作を読んでから行った方がいいと言うコメントを読んで、素直に従って良かった。原作はネタバレでもなんでもない。
現代劇版ですら全く違うものなのかもしれない。

桜の森の満開の下が、恐ろしい場所だなんて、感じたことがあったか。もちろん無かったが、この話を知った後では、軽い気持ちで通ることは出来ないだろう。
桜の森の満開の下で拾うは、幸福か、不幸か、はたまた鬼に拾われるか。

閻魔様、赤鬼、青鬼、白いの。
鬼たちを中心に、大ボケ、小ボケ、小ネタとボケ倒しの笑っちゃうコントに、この難解な物語にすんなりと溶け込んでいける。
天智天皇の時代設定でも、現代語を多用し、あえてそれを七五調と比較するとは、シェイクスピアかよ。
何度も何度も言葉遊びが繰り返されるのと、歌舞伎とは縁のない音楽が異質なものとして印象的なだった。

満開の桜の下で起こる悲劇と、アベマリアに見覚えを感じたのは何故か。予告編を観たのかな。自分でも分からない。あの音楽と共に、勘九郎さんの朗らかな台詞が響くラストが好き。

耳男
勘九郎さん、主役なんだけど、なんだろう、私の中では3枚目的に愛嬌のあるキャラクターがよくお似合いになると思う。「桜の〜」の原作では盗賊にあたる役だから、純粋過ぎると感じて、この改変をどう受け取っていいのか正直一番困った役。
あのニコニコ笑顔で、拾ったはずの幸運と、自転車で坂道を下り続ける。地獄を背負い込んだ姫君と。
夜長姫を呪いながら弥勒を彫り、桜の森の下で刺した。それは確かに愛なんだ。
暑い日のにわか雨のように、参った参ったと思いながらも感じる愛。
と鬼の衣を抱く耳男を見て納得したけど、
本当の解釈はちがうのかもね。

夜長姫
可愛い。声動き、その全てが可愛い。神輿に乗って登場する最初の場面から卒倒した。
笑いながらサイコパスみたいな行動をする姫様の、私は何に、惹かれたか。「みぃつけた!」
桜の下で鬼と見えた、その声の変化。
無音の場に響くそれまでとは違う低い声に、東劇がざわめいて、屋根がミシリとなった時の恐ろしさには流石に鳥肌がたった。
そこには間違いなく、人ならざる者がいたんだよ。
そしてあの死のシーン。鬼の面がサッと落ちたあと、あんなにゆっくり、反り返りながら倒れていく。安らかな表情で。ここのカメラアングルが、シネマ歌舞伎ありがとうでした。

オオアマ皇子
他にどの役者が場に立てど、放つ気品と、美男っぷりは松本家の血筋がもたらすものなのか。
サッと羽ばたくように捌ける去り際を、鬼たちが羨ましそうに真似するシーンが印象的。
誰にとってのといえば分からないが、悪になってからの堂々とした姿と、影なる色気にはそこに立っているだけで美しい。
鬼も人もなく、くにつくり(かにつくり?なに?)をして遊ぶ天皇。くにつくりをするようになってから、面白みのない人間になったあの熱のなささえも、意図的にやってるんだとしたら、天才だね。
ねまる

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