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ザ・ライダーのohassyのレビュー・感想・評価

ザ・ライダー(2017年製作の映画)
4.2
ライダーというのはいわゆるカウボーイで、競技ロデオに人生をかける人々のこと。
選手と言ってしまうと違和感がある。
スポーツと言うには経済とは程遠く、生活に密着しすぎている。
日本で言えば例えば流鏑馬のような、どちらかと言えばお祭りにおける神事のような印象だ。
小さな頃から当たり前のようにそこにあって、大人たちが夢中になっていて、どんな荒馬をも乗りこなす兄ちゃんは地元の子供達のヒーローで。

主人公の青年・ブレイディは、カウボーイとしてロデオに生きがいを見出していたが、落馬による大怪我でそのアイデンティティを失ってしまう。
父親との確執、自閉症の妹、同じく事故により障害を負ってしまった兄のように慕う天才ライダー・レインとのふれあい、そしてなにより、馬たちとのコミュニケーション。
怪我により全てを失ってしまったとふさぎ込んでいたブレイディが、自分の足で新たな一歩を踏み出すまでを、丁寧に丁寧に描く。

ブレイディを含め、登場人物たちは役者ではなく、本人たちがそのまま演じている。
言うなれば「15時17分、パリ行き」のような、本人たちによる再現ドラマ的な演出スタイルだが、イーストウッドのそれとはまったく印象が違う作品でもある。
カウボーイとして生きる彼らも、その生活も、怪我も、事実に基づくが、フィクションでもある。
不思議な手触りだ。
登場人物たちからは、作り物には再現しきれない本物の匂いがするし、なによりブレイディの馬の調教シーンがドキュメンタリーの迫力で、緊張感と慈愛に満ちた圧倒的な出来栄えである。
あのようなシーンは、調教された賢い馬と役者では絶対に撮れないだろう。
ブレイディにとってはカメラが回っているフィクションであっても、言うことを聞かない若馬を調教するという意味ではドキュメントであり、その馬とのコミュニケーションよって自らも再生されていく様子もまたドキュメントである。
作り物の中に登場するそのような本物が、得も言われぬ感動を生むのだなあ。
なんという手法だろう。

本作と「ノマドランド」で見いだされたクロエ監督の次回作はMCUの「エターナルズ」だという、なんと。
MCUの近年の監督起用を見ていると、きっと「アクション超大作は作れる、必要なのはドラマを撮れる監督だ」と思っているだろうことが良く分かる。
次の作品もその次の作品も、すごく楽しみだ。
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