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ミッドサマーのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

ミッドサマー(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

スウェーデンの架空の村ホルガにおける宗教儀式にアメリカ人とイギリス人の若者が参与観察のつもりで行って生贄にされる。小綺麗な白石晃司監督作品(『ノロイ』、『カルト』、『オカルト』)という感じだが、カルトの本物らしさはそれらの作品よりも劣る。映画のルックが「90年ごとに9人の生贄を捧げる古来からのカルト」っぽくない。理由はこの映画に直線のデザインが多用されているからだ。

ホルガ村の建物とシンボルの直線的なデザインは近世以降のカルトという感じがする。西洋の建築で直線が多用されるようになったのは、ゴシック建築(12世紀後半)以降ではないか。村の入り口が大きな目玉であるとか、三角のデザインが多用されているところとか、フリーメイスン(16世紀以降)という感じだ。あんなに鋭角的なデザインは現代的すぎるのではないのだろうか。熊の皮を使ったオーガニックな祭祀をいかにも人工的な直線的な建物内で行うのは、不自然とは言わないまでもチグハグな印象を残す。

すべての家が木造っぽかったが、あまり古い感じがしなかった。儀式の度に新しく建て直してるのだろうか。日本の神社のように。

食事に銀のカトラリー、儀式用の衣装に光沢があること、水力発電をしていること、コップがプラスチックかガラスであること、これらのことから村が現代以降の生活様式を取り入れていることが分かる。ということは近代精神にも触れる機会があったということで、そんななかで多くの生贄を必要とする宗教方式を保っていることが不思議。90年ごとに9日、9人を犠牲にする儀式だから成り立っているのか。しかしホルガ村出身のペレの両親は「炎に包まれて死んだ」ということだから、おそらく儀式の生贄になったのだはないか。それならば儀式の頻度はもっと頻繁ということか。それとも、ペレの両親は足抜けしようとして捕らえられたのだろうか。

最後の儀式の場面で使われるのは恐怖を煽るような音楽ではなく荘厳かつリズミックなものである。すでに描き手の視点はアメリカ人の若者からホルガ村の儀式に移っているということだ。

前半、「寿命をまっとうしたから」ということでビヨン・アンデルセンともう一人の壮年女性が崖から飛び降りる場面を見て「ていのいい現代の姥捨山だな」と思った。

前作『ヘレディタリー/継承』との共通点は、序盤の終わりあたりに凄惨な死体の顔がアップになること、カルトの存在、男性が生贄に捧げられること、男性の身体が炎に包まれることあたりか。

終始暗い雰囲気だった前作とは異なり、白夜により暗くなることがない村で、白人の白衣を着た村人たちに生贄にされる民俗ホラー。ジョシュが有色人種であることは特別視されておらず、白人男子学生とまったく同じように生贄に捧げられるところがこの映画のフラットなところか。

ルーン文字を使っているところはよかったが、秘儀を伝えるために書かれた『ルビ・ラダー』がそれらしい雰囲気を醸し出すためのギミックとして用いられるのみで、あまり活用されなかったのが残念。序盤に出てきた8の字が途中で終わったようなテーブルのフォーメーションは、ルーン文字で"Othala"(homeland, inheritance)。折れ線形の角張った表音文字であるルーン文字が多用されていることを考えると、あの建物のデザインもルーン文字の象形に強く影響を受けてるのかもしれない。しかし「文字の形が建物の造型に影響を及ぼす」というのは、やはり近代以降の発想と考えたほうがいいだろう。
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