北斗星

82年生まれ、キム・ジヨンの北斗星のネタバレレビュー・内容・結末

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

映画冒頭のタワマンから外を見るジヨン。呼吸が荒く、今にもマンションから飛び降りるのではないかという恐怖感と閉塞感。
原作は未読だか、この作品のテーマがこの冒頭の描き方で一瞬でわかった。

ジヨンは全く笑わない。
それどころか、夫の休日以外はほぼ家事子育てにワンオペの日々。
笑わないどころか、夫に怒りを表立って表出することもしない。
感情が完全に凍りついてしまっている。
見ている方もとても苦しくなる。

ジヨンには実家はないのか?母親はどうしているのか?最初疑問を抱く。
赤ちゃんの育児は一人ではとてもムリだからだ。
だか、母親も地方に住んでおり自営業で忙しく、愚痴をはいたり相談相手にはならない。

全てにこの主人公は、自分さえ我慢すればうまくいくのだと、思い込んでいる。
いや、今の韓国や日本の社会が母親たちにそう思うよう仕向けているし、強いているのだ。

母親だから子供を育てて当たり前。小さい子がいて家事をするのも当たり前。
全て、女だから母親だから…。

義母宅へ疲れているのに仕方なく帰省したときも、ジヨンはまるで家政婦。
寝る布団も地べたにタオルだけ。
しかも義母からのプレゼントは銀行のオマケのダサいエプロン。

ジヨンが怒りを抑え込んでる分、観客がジヨンの代わりに怒りを感じる。

何故、夫は会社を早退してでもすぐに一緒に精神科に連れていかなかったのか?
一緒に行っていればもっと早くに治療を受けられたのでは。

妻があれだけ病んでいて、夫も後に涙まで流すほど心配しているのに、何故1人で行かせたのか、わからない。
何故こんなに酷くなるほど放っておいたのか?

また、韓国社会は男子を何よりも大事にしているということが解った。女に生まれついただけで損だと小さな頃から思い知らされる。
父親は鈍感すぎ。ただ、だからと言って全くの悪人と言うわけではないのだ。義母もしかり。

ジヨンがジヨンの母親に、祖母の人格に入れ替わって母親の若い頃の苦労を労う場面はジヨンの母親もむせび泣いた。

人格が入れ替わる時だけにしか、ジヨンの本音・心の叫びが言えないというところが見ている方も非常に切なく、辛い。

ジヨン本人が我慢に我慢を重ね、自身自分が病んでいるという自覚がないことがすごく危険だと最初は思ったが、ただジヨンの場合誰が見てもおかしいと思う『症状』が出ただけマシなのかもしれない。

再就職は無理だったが、カフェで心ない独身3人組にママという立場だけで酷く罵られた際に、ジヨンなりに初めて『症状』としてではなく、感情の吐露が出来た。
カメラは俯瞰し、カフェにいる子連れママは全員ジヨンの味方に見える撮り方が印象的だった。

ラストは映画の冒頭と全く同シチュエーションなのだ。タワマンのベランダにジヨンが夕暮れ時に1人立っている。
だが最後は、陽を浴びてとても美しく変化していた。
ファーストシーンとは真逆で自信に満ち、別人に見えるほど。
ラストは原作とは違うらしいが、希望の持てる終わり方で心底ホッとした。


私は、救いのない終わり方を良しとする映画は、どんなバックボーンを持つ作品かにもよると思っている。
ただ、この作品はこのラストで正解だと思った。
北斗星

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