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はちどりのohassyのレビュー・感想・評価

はちどり(2018年製作の映画)
4.0
舞台となっている90年台前半の韓国というのは、おそらく暗黒の時代の最後の頃だったろう。今がどうなのかはともかくとして。
「タクシー運転手 約束は海を超えて」が1980年の話だから、そこから民主化が進んだものの90年代末には財政破綻を起こす韓国。
自らのプライドを家族に対して高圧的に支配しようとすることで保とうとする父親、全てをあきらめ考えることをやめた母親、抑制された子供たち、社会として末期症状の空気が、14歳の少女を通して肌を刺すように伝わってくる。

この手の作品は何はともあれ主人公の少女のポテンシャルが大切だと思うけれど、これまたすごい人材がいるものだ。
本作を観ながら、僕も例に漏れず「牯嶺街少年殺人事件」の小明ことリサ・ヤンを思い出したが、彼女とはまた違った、現代的な覚めた(諦めのようなもの)雰囲気をうっすらとまとった絶妙な存在感であった。
そんな彼女がなんであんなロクでもない男とくっつくのか全くよく分からないけれど、分からないからダメなんだと言われそうでもある。

14歳の少女の後を終始追い続けるようなカメラは終始少女ウニの狭い世界しか映し出さないけれど、彼女の目を通して経済的な破綻や格差社会、政治、果ては金日成の死まてくるを伝える。
大人たちが勝手に作り動かす社会の中で、一体何が行われているのか全く分からず、分からないながらも生きてゆかねばならない暴力的な圧力が彼女に、そして僕に襲いかかってくる。

そんな中で出会う漢文のヨンジ先生は、ウニにとって大きな拠り所となるのは理解ができる。
多くは語られないがヨンジ先生はソウル大学生というエリートでありながら、おそらく社会からドロップアウトしつつある状態。
つまりは社会の急流から外れて滞留している状態だったことで、ウニとしっかり対話ができる唯一の大人だったのだ。
両親をはじめ他の大人たちは、流れに取り残されないことに必死で、きっとそれどころでは無かったのだろう。

新型コロナの影響で図らずも激しい流れから少し距離を置くことになった今、ゆったりとした状態で足元から先の方まで視野を広げることができているように思えるのは、そういうことなのかもしれないとちょっと思ったりする。

少し内容に触れますが、映画というフィクションにクライマックスの事故を取り入れることで、作り物の映画が突如として現実とのリンクを強烈に主張し、ザラついた肌触りと人物たちの実存性を浮き上がらせる。
90年代の韓国や少女の生きる世界を生々しく描いていると感じながら観ていたはずだったけれどこの瞬間のショックは凄まじく、どこかで所詮は映画だと思っていた自分に気づくことに。
あのシーンを通過した今は感じることができる、この世界のどこかに、ウニやあの家族が確かに生きている。
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