のすけ

ルース・エドガーののすけのレビュー・感想・評価

ルース・エドガー(2019年製作の映画)
3.8
先生は、「黒人なんだから差別されないように模範的な行動取るべきだ」的なことを言ってる時点で、白人は皆そういう目で黒人を見ているという無意識のメッセージになってしまっているし、黒人はそう思われているというある意味これも白人黒人への差別とも取れる発言になってしまっている。自分も黒人だからそういう発言をしても良いと思っての発言だろうが、よく考えればおかしい
まあ内容として間違いではないのでしょうが、それを教師として生徒皆の前で言うのはどうかと思うし、本質からずれていると感じる。それを生徒たちの前で言ってしまう時点で、この先生もまた少しずれているというか正論の主張が強くて人間の機微に触れられない面があるのかもしれない。すぐロッカー調べたりと…
正論を振りかざしているが結局は自分自身の主張が強すぎるのかもしれない。
黒人差別に一番敏感で嫌悪感を感じているのは実はこの先生で、ルースを黒人の成功の象徴とすることで自分の主張を展開していた面はあるのかもしれない。

両親は息子を信じているようで自分を信じたいだけ。ルースを否定することは、これまでの何十年間自分を犠牲にしてでも必死にルースの世話をしてきた自分の人生そのものを否定することになるから。それだけはできない。人間は無意識にそういう行動を取る生き物。
特にお母さんの方は、実際はお父さんよりも自分を犠牲にしてルースを助けてきた自負があるのでルースを否定することは自分の人生そのものを否定することと同義になるため、それをしたら自分自身が崩壊してしまうので無意識がそうさせない。

花火が無くなっていたのにルースを学校に引き渡さず普通に講演を観てる。人間て本質を見失うとこうなってしまう。恐ろしい。一番恐ろしいのは、お母さんがルースのために…ルースを守るために…やっているようで実は全く違くて、実は自分自身のこれまでの人生の決断の数々と無意識に天秤にかけていて、ルースを守らないと自分の天秤が一気に落ちてしまうのを感覚的に分かっていて自分を必死に守っている点。更に言うとそのこと自体すら自分でよく分かっていないことです。

校長も一緒。自分自身の体裁はもちろん、ルースを否定することはこれまでの学校側の対応全てを否定することになってしまうから。

花火が無くなっていた事実、ステファニーと裏で繋がっていた事実、先生の姉が暴れた映像を何故か持っている点、、総合的に観てもルースが犯人と考えるのが妥当。
スーパーでたまたま会ってローズと話してるのも普通は変。先生を付けていたのでは?と感じる。

ルースはそんなこんなを意外と全て俯瞰して見ていそうだなーと感じた。
間違いなく頭はいいはず。そしてほんとに努力はしてきたはず。じゃなきゃあそこまで行けない。
親のその心理も分かっていての行動かもしれない。じゃなきゃ隠してあった花火は使わないはず。確実にバレる。
自分自身がまわりからどう思われているのかを正確に認識していて、それによってどういう行動が可能になるのかや、どこまでの思いきった行動なら相手の無意識が許すか、良いイメージに引っ張られて自分が守られるかを感覚的に感じとりながらやってる感じがしてしまう。
そう考えるとサイコパスな一面はあるのだろう。過去に相当の体験をしてきているのなら、心理的な障害からそういう一面が生まれていてもおかしくはない。
でもどちらにしろやってることは最悪であり、許されるものではない。
優等生の自分はコンフォートゾーンではなく、過去が邪魔をし表面上は優等生でも真から優等生になろうとすると無意識が邪魔をする。優等生の自分は本来の自分ではないことで無意識は実は辛くて抜け出したかったのかもしれない。悪いことをすることで精神のバランスを保っていたのかもしれない。

自分自身がまわりから崇められることで本質を見失い、悪いことをしても良いイメージでカバーされる(許される)範囲をもう越えているのにそれが分からなくなっていくパターンは犯罪者によくある、段々盲点で見えなくなっていきエスカレート。
話しは途中で終わるがきっと最終的にルースは捕まるだろう。遅かれ早かれ。

描かれている内容はよく考えると大した内容ではないのだが、俳優陣が素晴らしく鑑賞中没頭させる力があった。4名とも素晴らしい。良作だと思います。