ニューランド

極道の妻(おんな)たち 死んで貰いますのニューランドのレビュー・感想・評価

3.9
✔️🔸『極道の妻たち 死んで貰います』(3.9p) 及び🔸『団鬼六 緊縛卍責め』(3.4p)🔸『およう』(3.6p)▶️▶️

『極道の~貰います』。あれ程ファンだった関本を(いつも気にしつつも、仕事や話題作に向かい)いつしか観なくなってしまってたを悔いる。後期の、紛れもない傑作。ドラマとしての妥当性はともかく、音楽の悲痛感でつなげてたのが、後半はこの世界に浸かった女たちの自分が男か女か分からなくなって、亡き夫らに顔向け出来ぬ自ら犯罪者になろうとも、筋だけは通し、生き残った女同士が長い余生の同志ともなる、流れが3人のメイン女に通い始め、和服でのマシンガンも奪っての銃撃戦の、デクパージュ·身のこなし·角度と位置の変移とスリル·女たちの意志の途切れず高まる表情の絡む張り詰めと密度·確度が証明するように、全編の映画的完成度·キレは、恐るべきで、ゆっくりした縦等の移動に限った狭い社会の描き込みの、切返し·アップ·どんでん·短·全の人群や自然の川や大文字の山バックの俯瞰めやローや望遠の決まり方が連ねかれる。やがて、揺れうごき流れる人らに併せてのカメラワークも入ってくるが、底辺からのベース持ったある種の気品は失われず、逆に醸成されてゆく。各女の友情や組内の位置からの関係は、そして目先に狂う男たちの引き締めと、そこからの裏切りにいきそうで逆に関係性や愛は確かに感じ直し、殉ずる、愚かを承知の生きざまは、男社会の本来の在り方を男らにも、見いださせてく。男らだけでは完結できぬも。スーパー16のチャチな画面を超えぬチャチな内容とタッチとしても、その中で人間の尊厳を、主演三女優、コミカルに見えても周りの男優らに、最高級の演技到達·維持で見せきってる。開かれた映画·ドラマでないと笑えば笑え。これもまた、最高の映画の形なのだ。
京都の大きな組の六代目が亡くなり、七代目を選ぶ投票で、親分に代わり服役中の若頭を差し置いて、今の組の経済を握ってる補佐がバラマキもし勝つ。年若い若頭のやり手の妻は、正式襲名の半年で金を作り·逆転を狙う。七代目の妻も夫以上のやり手で、七代目の愛人は、若頭妻と旧友で、救い上げてクラブを与えてもいるが、金作りの為の売却進めで、関係がよじれてきて、補佐が競売て手にし、ママと補佐の妻も愛するはどっちかと。若頭の妻は転売で巨額入る話に入ってくが空手形になりかける。更に若頭と補佐の両方の暗殺計画が起こり、成功する。そして入札でも組の金に手を付けて補佐の弱みを作ってたその兄弟分が、全て裏で動き、組を掌握した事がわかってくる。
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関本を観なくなったのは、仕事で東京離れ地方工場へ、月一かニ上京して観るぐらいに本数が激減した事と、『処女監禁』『縄責め』と2本続けてガッカリさせられた事が契機だったか。しかし、『卍責め』を初めて今回観ると(いや、以前公開後にも観てて、あまり共感しないでいたか?)、文句なくいい映画だし、役者·台詞もしっとりとよく染みてくる。
「(姉の私と同じ道、誰かに囲われる事での成功で、人間の感情も失う二の舞はと、必死に止めてきたけど、)もう好きにしていいのよ」「この坂を降りてから考えるわ」「(横を見て)私もこの坂を貴方と登り、熱海に往くまではしあわせだった」「(そこで君と離れ、栄えも得たが)その後は僕は下る一方だった。もう1度僕と坂を昇ってくれるか」「ええ」
カメラの動きや、構図·美術、寄りカットの入れ対応や退きを中心とした角度変、人物の感情の押し殺しや意志の力、故郷·田舎·幼時の関本流イメージの割り込み、階段や坂や柱越しの上り下りや横移動、何故か両者の悲哀の滲む暴行·緊縛·身体の重ねシーン、関本の端正さや心の置き所の退行と紙一重がかなりよくでてる。そこにそれ以上の映画的ペース·才気がある度合いは少なめで、全体におっとりめ作。
過去·大過去と交錯して進むが、貧しく疎ましくもある青森から上京の、類いまれなる肉体を持っていた為に、作曲家を目指してもいる青年に目をつけられ、そこに純愛も生まれかけるが、複数·かなりの金蔓になる、SM嗜好家の老富豪に売る手筈をつける。女は、三年で一流クラブも持たされ、週刊誌でも取り上げられる、表面成功者になるが、心は感情を失い、男もそこの雇われピアニストに落ちぶれる。そこに新たな罠にかかった、美しい身体を持った若い女がひっかかる。その女は犠牲者というより、半端ない覚悟を強く持っていた。心ならずも、2人の女は姉妹と分かり、姉はこの世界の非情を身を持って教え、妹を返そうとするが。それに使われた男との、あの時以来の情交·気持ちも甦り、妹は与えられた試練をやり遂げ、新局面に。
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自主企画とはいえ、やはり『およう』は畑違いの気がする。ワンカット毎に、色調·構図·美術·カメラワーク·自然美と光、考え抜かれ、整えられ尽くしてるが、一貫したスタイル·ルックの圧巻には至ってない。恒例東北の海を貫かせればもない。関本映画においては気心の知れた、プロ根性の役者とのタッグマッチと、決して形而上学的な所まで描写を拡げない事が、傑作の条件だが、夢二とモデル=妻たちというメインの場と、熊川らの非職業の外見似たタイプの起用は、真に迫るをもたらせず、寧ろ竹中の本音を建前や未来像に譲る、飾りの少ない正直な演技には、この俳優のあまり好きではない私もかなり感動させられた。
美術·撮影·カメラワークは、トーンは一貫してないとはいえ、丹念で磨かれていて、独立プロとしては底光りが感じられる。只、タッチに確信が欠ける面があり、美的な体裁だけの僅かめの角度変が集まりめの所もある。俯瞰めや仰角の図は特に美しく、決まっているが。家の体現者や妻や母としての、女の本質の強さは描けず、モデルや不安定な女に傾き、執着する、自分勝手で暴力的な夢二、及びタイトルロールの掴めないモデルの女は何か浮わついてるが、その国民的画家の夢二に対し、逃げた妻に変態呼ばわりされ続けた、モデルと女を一体的に扱い、入れ込む、そしてそうして理解した女の未来の為には恋敵の依頼に協力するような(寧ろ日常は彼女の母の店に出入りし語り合ってる)、一途を超えた根っこからの血が繋がる対し方しか出来ない、裏世界の縛りのイメージの絵柄に染まったサブの絵師の在り方の方が遥かにリアリティあるは、関本はアントニオーニや澤井ではない、ということか。そして、我々レベルの映画ファンはそっちの方がいいのだ。
それにしても、作家生活後半期はたいして観てないので、負い目があるが、ベスト3は変わらずも、少なくとも映画史のトップ近くに5本はものし、アヴェレージも極めて高い作家と、再認識させられた。高学歴·秀才·慎重荘厳の澤井の対極の、映画史的には軽んじられがち作家だが、個人的には最後には、先に述べたが、こっちを取りたい。『~元禄~』『大奥~』『天使~』『~タイマン~』『スクール~』らをこの後も宝としと扱ってゆきたい。
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