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花束みたいな恋をしたのohassyのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.0
キャストとテーマからして選ぶことのないであろう本作だけれど、あまりに評判が高い。
興味のないジャンルだからこそ、それでも超えてくるモノがあるとすればぜひ体感したい。

これはアレですね、しっかり意識しておかないとすぐ自分語りをしてしまうやつですね。
この2人ほど、見た目も好みもマッチした相手とのキラキラした時間を経験した人はほとんどいないだろうけれど、それでもどこか自分の過去と照らし合わせてしまう力はなんでしょうね。
どこまでも理想的なキャラクターである2人は非常にマンガ的で非現実的だと頭では思うのだけれど、感情的にはすごくリアルと言うかすんなり受け入れてしまっている自分もいて、麦と絹という2人で1つのキャラクターが好きになっているし、それは自分の中にずっと居た理想的な姿が具現化したようにも思える。
この男カッコいいな、この女かわいいな、ではなくて、この2人いいなという感じ。

趣味や人間関係におけるポジショニングが完全に一致する理想的なペアが、現実によって離れなくてはならなくなるという、良い状態→悪い状態への移行を描いているように見える本作だが、学生から社会人、そして結婚、子育てを経験したお父さんからすると、それが必ずしも悲劇とも思えない。
もちろんこれ以上無いほど美しく素敵な思い出であることは間違いがないけれど、学生と社会人、恋人と家族というのはやはり大きく違うものなのだ。

彼らはお互いの趣味や考え方に完璧に共感して、必然的に恋人となる。
最高だ。
僕はそういう友人には出会っても、恋人と出会うことはなかった(やっぱり自分語りが出てしまう)。
ただしそれは、大学生やフリーターといった、人生におけるモラトリアムの中でこそ最も優先される価値観であることも事実。
実家暮らしや仕送り生活、なにより自分さえ生きていければいい、という環境があるからこそ出来る「理想的な遊びの時間」とも言えるわけだ。

ところが男女の関係になるということは、将来的に生々しい現実的な枷を2人で背負うことにもなるわけで、それは一般的に責任などと言われることが多くて恋愛と真反対なものと捉えられたりするものだ。
でも個人的にはそれこそが愛ではないかと思ったりもするので、これからまだまだ本当の人生があるよと、おせっかいを言いたくなってしまう。
もちろんそれは今の社会の構造がそうさせているわけで、そういったことを無視して楽しくやる方法もあるかもしれないけれど、同性の(異性であっても良いけれど)友人同士であったなら、未来永劫仲良く付き合い続けられたのになと思う。

ところで本作は日本映画にとって、ハリウッドや韓国映画に対抗できるひとつの型を提示できているのではないだろうか?
それは「王道の皮をかぶった邪道」「メインカルチャーの皮をかぶったサブカルチャー」というもので、一般層に刺さる華やかさから映画ファン層まで広くカバーできるクオリティを兼ね備えた、大変高性能はコンテンツであるということ。
これ、いくらでも作れるし、アジア中心にはなるだろうけれど海外でもしっかりと見応えあるスター映画の輸出が可能になるのでは。

もちろん監督脚本演技がしっかりしている必要はある。
2人の物語の決着の付け方と、ラストの切れ味は本当に見事で、これは脚本力の賜物だし、全体を通したかわいさ、おしゃれさは演出力の賜物だし、好きになってしまうキャラクターは演技力の賜物だ。
でもここを徹底的に磨いていくことで日本映画は強くなれる気がすごくする。
マーク・ウェブやスパイク・ジョーンズあたりをベンチマークにしつつ、彼らよりもう少しアジア的な生々しさを伴った独自路線で勝負する。
そういうの、増えるといいけれど。

それにしても有村架純って全く興味なかったのになあ。
2人の帰宅散歩の最中で彼女が独り言のように言った「クーリンチェ終わっちゃうよ」。
あれは年代的に。多分僕が代休を取って観たシャンテのことを言っているに違いなくて、POPカルチャー周りで生きる人間にとっては例えおっさんであってもキュンとしてしまう。
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