映画における「存在の問い」と労働を、消し去り、価値を問わず、(世界まで)の演出という言葉のもとに、誰もが平等に、どこでも、「誰でもかまわない」(ドワイヨン)=フィルムをシネマだと、呼び始め、喋り始めた。 ここにあるのはあくまでも立場設定と意気地なしによる、デフレスパイラル容認と本当に新、自由主義の焼き直しから開き直りとなった。 民主主義は、映画における存在の問いと労働を、俳優と世界から奪ったのだ。 シチリア!ひどすぎる、世界を侮辱するなんて』(1998, 66min)Sicilia! Troppo male offendere il mondo. 世界と空ショット 小津安二郎のささやかな労働、存在の問いと歴史と遊び。