さすらいの用心棒

ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へのさすらいの用心棒のレビュー・感想・評価

3.3
ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカを通して見る日本の姿とは────テレビ番組から派生したドキュメンタリー映画


先月、政界引退を表明したばかりのウルグアイ元大統領ムヒカ。
初めて彼を知ったのは、リオデジャネイロで開かれた国連会議でのスピーチ。世界中が陥っている消費と生産のループに切れ目を入れる言葉の鋭さに、圧倒された。

「きみが何かを買うときお金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ」
「大統領は多数派に選ばれるのだから、多数の人と同じ生活をしなければならない。国民の生活レベルがあがれば自分もちょっとあがる。少数派ではいけないんだ」

ついぞこの国のトップからは聞けないような、深い洞察に裏打ちされたムヒカの言葉の数々。それらがこの映画では綴られている。正直、それだけで見る価値はあるとは思う。
ただ、僕が映画館までわざわざ足を向けて見にきたのは映画であって、テレビ番組ではない。
プロフィールを紹介し、インタビューを繋げて、無菌パック状態でまとめるだけならテレビで用は済む。わざわざ映画でやることはない。言葉だけを追うのであれば書籍でもできる。テレビ局がわざわざテレビから映画にメディアを移して製作するくらいなのだから、テレビではできないことをやってほしい。せめて、単純明快さを求められる世界から、複雑で豊潤な世界に足を踏みだす勇気を見せてほしかった。少なくとも『さよならテレビ』『はりぼて』といったテレビ局発のドキュメンタリー映画にはそれだけの気概があった。

ムヒカを鏡にして日本を写すという試みは悪くないけど、いくらなんでも言葉という表現に頼りすぎている。監督は、人間に代わって自動案内するロボットや、原爆ドームを見つめるムヒカの厳しい眼差しを捉えただけで満足していてはいけない。映像を生業としているのなら、彼の中にある葛藤を映像として残してほしい。それが残せなかったとしたら、ドキュメンタリーを撮るにはあまりにも撮影期間が足りなかったせいだろう。一本の映画にするには内容が薄いのだ。

監督が映り込みすぎているという意見をよく見かけるけど、この映画はすべて監督の視点から出発しているわけで、監督が感動した言葉、映像を監督の視点で編集しているのだから、もっと監督自身の内面を出してもよかったのではないかと思うのだけれど、それがほとんど削ぎ落されているから鬱陶しくなってしまっている。それも残念だ。変にテレビを意識せず、一歩踏み込んでほしかった。

ここまでの材を得て一本の映画をつくれることは幸運なことだと思うのだけど、果たしてそれを活かしきれただろうか。もう一度考えてほしい。