がちゃん

無頼のがちゃんのレビュー・感想・評価

無頼(2020年製作の映画)
2.3
さようなら、井筒監督。
一部私の肌に合わない作品もありましたが、多くのあなたの作品が大好きでした。

特に、近畿圏の若者たちの抗争を描いた作品群は、その見事な関西弁のやりとりや刺激的な暴力シーンで私を魅了しました。

物語のクライマックスに運ぶメリハリのある演出や、積み重ねられるギャグのセンスは、これぞ井筒節と呼べるほどのまさに名人芸でした。

そしてあなたは映画作家人生の総決算として8年ぶりの監督作品として本作を作り上げました。

ああ、しかしまさかこんな形であなたの作家としてのこれまでの輝きが失われてしまうとは思いませんでしたよ。

1950年代からの高度成長時代の波に乗ることができずドロップアウトしてアウトローの道を歩み頂点を極めるも、人生の黄昏を迎えた時に過去の自分を清算するために仏門に入り、途上国に住むことを決意する実在の元暴力団員の生涯を通じて、バブルがはじけるまでの日本の世相を描いた作品。

主人公のモデルは、山口組の元最高幹部、後藤忠政元組長。

序盤のモノクロ画像から時代が進むに従い映像がカラーになっていく。

物語の節々にその時代の風俗模様がわかるセリフや映画ポスター、テレビニュースが画像が差し込まれて、ある種のノスタルジィを感じさせてくれるいつもの井筒演出。

こういう風に書き出せば、相変わらずの井筒節じゃないかと感じられるかもしれないのですが、その切れ味がビックリするほど鈍っているのですよ。

デビュー作、『ガキ帝国』では島田紳助、松本竜介。『岸和田少年愚連隊』ではナインティナインのお二人。『パッチギ』では、沢尻エリカと塩谷瞬・高岡蒼佑。
主演の彼等だけではなく、例えば『ガキ帝国』では、升毅や上岡龍太郎。『岸和田少年愚連隊』では、当時吉本興業の若手集団“天然素材”の方々にいたるまで、井筒監督の演出の厳しさの賜物であろう彼らの存在感はとてもギラギラしていました。
理屈を超えたその輝きに、思想・心情を超えた共感を感じたものでした。

比べて本作の登場人物たちの存在感のなんという薄さよ。
よく聞き取れないぼそぼそとしたセリフ回し。
マーロン・ブランドを気取っているのですか?
パワーのあった井筒監督なら、もっと厳しく演技指導したはずです。

演者たちの存在感の薄さ同様、ストーリー展開も至って平坦で、クライマックスというものがない。

殴り込み、逮捕、出所の無限ループがこれでもかというほど続きます。
殴り込みシーンにはそれなりの火薬を使い、銀行に糞尿をまき散らしたりと一応見せ場をこしらえているつもりなのでしょうが、まったく刺さらない。

新興宗教(モデルは創価学会)と国会議員とヤクザの関係を描いたりしているのですが、ここなんかをもっと掘り下げたら、いいクライマックスになったかもしれないんですけどね。

反社会勢力であるヤクザは悪なのは間違いないのですが、偶像としてのヤクザ映画として『仁義なき戦い』(1973)のエンターテイメントに酔い、生活者としてのヤクザを描いた『竜二』(1983)に喝采を送った私のような映画ファンにはちっとも刺さらないでしょう。

ヤクザを通して井筒監督は、自身大ファンである『ゴッドファーザー』のような世相を映した大河的ドラマを作ろうとしたのかもしれない。

『ゴッドファーザー』のオープニングの結婚式のシーンをオマージュしたようなガーデンパーティーのシーンがあります。

そこで、小林旭をモデルとした歌手が、『熱き心に』を唄うシーンは、フランク・シナトラをモデルにしたジョニーフォンテーンの登場シーンを意識したものなのかと考えたり。

そういえば、劇中で『ゴッドファーザー』の馬の首のシーンをヤクザが語り合ってるシーンがありました。

それならいっその事、『ゴッドファーザーに捧ぐ』ということをもっと前面に出したノスタルジィ感満載の作品にすれば、少なくとも映画ファンはニッコリしたかもしれません。

演出力の差と役者の力量の差は圧倒的なのだから、悲しいかな井筒監督にはゴッドファーザーのような作品は撮れない。

本当に失望した井筒作品でしたが、唯一感心したのは、貧困時代の主人公が街の映画館に張ってある、『太陽の季節』(1956)のポスターを見て毒づく表情をするシーン。
一瞬にして主人公の心情と立場を観客に理解させてくれる。
これが、最後の井筒監督の名シーン。

厳しいレビューになりましたが、これが最後だというのを撤回してもう一度井筒監督らしい作品が発表されるのを期待しています。
がちゃん

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