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チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ーのMadeGoodのレビュー・感想・評価

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世界はこの大罪を止められるか

ロシア支配下のチェチェン共和国で国家主導の”ゲイ狩り”が横行している。同性愛者たちは国家警察や自身の家族から拷問を受け、殺害され、社会から抹消されている。それでも決死の国外脱出を試みる彼らと、救出に奔走する活動家たちを追った。本作品では、被害者の命を守るため、フェイスダブル技術を駆使し身元を特定不能にしている。

イントロダクション

作家としても受賞歴があり、アカデミー賞ノミネートの経歴を持つデイヴィッド・フランスが監督を務める。(『HOW TO SURVIVE A PLAGUE(疫病を生き抜く)』『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』)彼は、本作『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』において、これまでも重要なテーマとしてきたLGBTQ問題を前面に打ち出し、ロシアのチェチェン共和国で現在起こっている人道的危機の驚くべき実態を伝える。

フランス監督は、チェチェン共和国当局によるLGBTQ迫害の犠牲者を救出する活動家たちの中に入り、ゲリラ撮影の手法で彼らが直面する困難と日々の地下活動を撮影した。チェチェンではゲイやトランスジェンダーであることは悪とされている。当局が関与する拘留、拷問、命の危険に瀕し、LGBTQの人々は息をひそめ恐怖に怯えて暮らしている。ロシアLGBTネットワークや、モスクワLGBT+イニシアティブコミュニティセンターの活動家グループに密着して撮影された映像は、LGBTQに対する恐ろしく残忍な虐待の様子を伝え、隠されてきた残虐行為と危機的状況を暴き出す。

チェチェンのLGBTQに対する拘留、拷問、処刑を罪に問わず、粛清を進めるという暴挙を容認している。世界的に抗議の声をあげるには情報が少なく、ロシア連邦政府からの対応も得られないため、活動家らは秘密裏にネットワークを駆使し自力で問題に取り組まなければならない。そして、既に数え切れないほどの犠牲者が殺害され、行方不明者は数百人にのぼる。

偏見と憎悪の渦中で、十分な準備も資金もないままLGBTQ活動家は経験したことのない危険な仕事に奔走する。助けを求める人のための救援ホットラインの開設や、広範囲に及ぶ支援ネットワークの提供、一時的な避難所、安全な住居、緊急避難の対応など、活動は多岐にわたる。彼らは自らの危険を顧みず、弾圧から逃れた生存者を受け入れ、検問をやり過ごし国外へ避難させることに全力を尽くす。

この映画には、助けを求める性的少数者の男性や女性が登場する。彼らは率直に勇気をもって自らの経験を語っている。フランス監督は命の危険に晒された避難者の身元を保護するため、彼らの声を変え、偽名を採用している。また、ディープフェイクの使用法をを更に進化させた「フェイスダブル」を採用している。これはドキュメンタリー映画としては初の試みで、この方法で顔を変えることにより、感情のある印象的な映像が生まれ、避難者らは報復を恐れず語ることができ、彼らの苦境を直接伝える作品となっている。

撮影が終る頃までに、LGBTQ支援パイプラインを通じて151人が避難したが、それでも未だ40,000人が助けを求めながら身を隠して暮らしている。

監督コメント

私はジャーナリスト兼作家としての長年の仕事の中で、差別を受け、無視され、憎悪されているアウトサイダーや、社会の極限に追いやられた人々に焦点を当ててきた。

ドキュメンタリー映画の制作において、私はアウトサイダー活動を主題としている。最初の映画作品『HOW TO SURVIVE A PLAGUE(疫病を生き抜く)』では、伝染病がもたらした混乱に対する社会の対応を変えるべく、専門家でもない市井の人々がAIDS活動家として立ち上がった運動初期の様子を記録した。次いで、急進的なジェンダー運動の始まりを描いた『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』では、現代のLGBTQ活動の礎となっただけでなく、1970年に性的マイノリティ権利団体を設立した活動家に着目した。

本作『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』は、この三部作の最後にあたる。今回も常識を超えて活動するごく一般の人たちを撮影しながら、ずっと心に抱いている疑問を投げかけている。あえて問題に目を背ける人々がいる中、彼らはなぜ甚大なリスクを冒してまで活動に取り組むのか。つまり、何がその英雄的活動を支えているのか。

撮影も終わり、地下活動パイプラインのメンバーと別れる時、この作品を発表し私が撮影したことが公になれば、もう二度とここへ戻れないと分かっていた。彼らの活動の尊さに感謝の涙があふれた。彼らの無私無欲で人道的な行動、あらゆる困難に立ち向かう実直で勇敢な活動を目撃する機会を与えてもらった。そのことに感謝している。

製作ストーリー

「殺されない限り、私たちの勝利だ。」ロシアのLGBTQ活動家、デイヴィッド・イスティーフは言う。

2017年初頭。映画制作者で報道ジャーナリストのデイヴィッド・フランスは、ロシア連邦チェチェン共和国の指導者のもとで、性的少数者を標的とする拷問や殺人が横行しているという恐ろしいニュース記事を目にした。そのニュースはすぐに見出しから消えたが、その年の7月、マーシャ・ゲッセンが書いた“The Gay Men who fled Chechnya’s Purge”(チェチェンの粛清から逃れたゲイの男性)の記事がニューヨーカー誌に掲載された。チェチェンの迫害は進行中であり、「チェチェンの血統浄化」を掲げた政府主導の取り組みであることが明らかになった。フランスは、「ゲッセンの記事は、この迫害がチェチェン人のLGBTQを見つけ出し、根絶するために計画されたトップダウン型の政策であることを突き止めていた」と語る。ロシア連邦政府はチェチェン指導者らへの介入を否定し、国際的な非難の声は無視されていた。同時に、現地活動家は、自力で解決しなければならない問題として、対応を余儀なくされていた。

その数日後、フランスはモスクワに渡り、マーシャ・ゲッセンを制作総指揮者とし、ロシア人プロデューサーのアスコルド・クーロフの助けを借りて、最初の事実調査を開始した。当初、週末だけの予定だったが、滞在は1か月に及んだ。「事態は急速に展開していて、迫害されている人々の救命活動が必死に行われているのを目の当たりにした。初日に撮影を始めて、そのまま続けるべきだと考えた」とフランスは言う。

フランスは、国内最大の同性愛者権利グループであるロシアLGBTネットワーク危機対応コーディネーターのデイヴィッド・イスティーフ、モスクワLGBT+イニシアチブコミュニティセンターのディレクターであるオリガ・バラノバの信頼を得て、チェチェンにおける虐待の犠牲者を救出する地下活動に同行することになった。彼らのグループは数カ所にシェルターを持ち、避難した人々の身の安全だけでなく心理面や経済面でもサポートし、時には新しい身元を用意してロシア国外へ脱出させる支援もしている。危険な極秘活動だ。

フランスは彼らの活動を目の当たりにして、その恐れを知らない行動に感銘を受けた。「社会の機能不全に直面し、何とかしなければと立ち上がった人々による、勇敢な活動の記録。それがこの映画だ。彼らは誰一人として、自分たちのことを困難に立ち向かうヒーローだとは思っていなかった。自らの危険を顧みずひたすらに活動していた。」

プロデューサーのアリス・ヘンティは、2017年後半よりフランス監督のチームに加わった。本映画の題材についてこう語っている。「私もチェチェンの弾圧問題に注目し、恐怖を感じていた。そして、外部に出る情報が非常に少ないことにもショックを覚えた。当初は誰を撮影できるかも分からなかったが、間違いなく迫害の犠牲者の擁護を訴える力強い作品になると確信していた。」

フランスはその後18か月の間に何度もロシアに渡り、地下活動パイプラインを通じて避難した生存者と会った。関係者の全面的な協力を得て、フランスとクーロフはノンストップで撮影を続けた。想像を絶する暴力を受けた数人の男女、命からがら避難して来た人々のインタビューも行った。だが、生存者たちは故郷の家族への脅迫(時には家族からの脅迫)を恐れていて、匿名での証言が前提だった。フランスは、当事者の姿を影で隠したり、顔にぼかしを入れたりしたくはなかった。隠すことは映像として当事者の人間性を損なうリスクがあると感じていた。「彼らは強い勇気を持って制限なしでの撮影を受け入れてくれた。私は撮影後、必ず彼らの匿名性を守る手段を講じると約束した。この恐ろしい状況の当事者となることはどういうことなのか、知りたいと思った。そして、悲劇と勇敢さ、困難な人生を生き抜く姿を伝えたいと思った。」とフランスは語る。

フランスとヘンティは、当事者の経験から表れる真実の感情を曖昧にすることなく、匿名性を保護する方法を模索し開発するために何か月も費やした。幾度も失敗を重ねたが、とうとう2つの解決策にたどり着いた。その方法を試すため、人間の共感と関係性研究の権威であるタリア・ウィートリー博士に相談した。博士はダートマス大学で109人の学生を対象とした研究にVFX画像を取り入れ、明確な成果を上げている。デジタルエフェクト会社300Ninjas,Inc.のライアン・レイニーによって開発されたその方法は、撮影された多くの被写体を、AIとディープマシンラーニングを使用したデジタル処理でマスキングするという技術だ。ディープフェイクのような技法だが、これまでの発想を覆す方法で利用している。画像を操作し、言っていないことを言っているように見せるのではなく、迫害の犠牲者が誰かの顔を借りて真実を語ることを可能にしている。フランスと彼のチームは、米国の人々、多くはニューヨークを拠点に世界中の反LGBTQ問題と闘っている活動家に呼び掛けて、映画に登場する22人の犠牲者らを守るため、活動の一環として顔を貸してくれるよう協力を求めた。「フェイスダブル」として、協力者をブルーバックで撮影し、その映像をアルゴリズム化し、マシーンラーニングを介して映画の登場人物の顔を覆う。同時に「ボイスダブル」で声も変えて、当事者を完全に特定不可能にした。

悪用されて来たディープフェイクのAI技術を、沈黙せざるを得なかった人々が真実を語るために、映画制作者が利用する。フランスはこの点について、「この方法を使わなければ、当事者らの存在は実体のない影のままで、機械音声による証言となってしまう。」と述べている。

このプロジェクトに参加することの危険性は非常に大きく、この映画に関われば世界の多くの地域で論争と敵意に直面するであろうことが予想されたため、映画制作者らは、細心の注意を払ってすべての関係者が安心感を得られるよう努めた。「この映画に関わることを秘密にしたいかどうか関係者に確認したとき、ほとんどの活動家は隠す必要は無いと答えた。私たちはその後も彼らの意志を何度も確認した。だが、認知されることが実際には自分たちを守ることになるというのが彼らの論理だ。」とヘンティは語る。

ロシアとチェチェンでこの繊細な題材を撮影するにあたり、フランスと彼のチームも大きな個人的リスクを負っていた。決して自分たちに注意が向かないように用心し、2人以下の班に分かれ目立たないように行動した。「撮影には旅行者向けカメラを使った。市販のソニー製カメラで、使い古した旅行者カメラに見えるよう加工した。撮影ランプの点滅も見えないようにすべてテープを貼り、観光客のふりをして各地を撮影して回った。さらに、各シェルターにもカメラを置いて、避難者が自分で撮影できるようにした。特に危険を伴う撮影では、GoProや携帯電話のカメラを使用した。映画の約8%は携帯電話で撮影された映像だ。」とフランスは言う。映像はコピーを3部作成し、複雑に暗号化したドライブに保存して国外へ持ち出した。また、インターネットを介して映像を送ることを避け、ロシア国内に撮影の痕跡が残らないよう徹底した。

残虐行為の実状を強く訴えるため、フランスと彼のチームは、拷問や殺人の恐ろしい映像も映画に含めるという厳しい決断をした。そのことについてフランスは次のように述べている。「実際に何が起こっているのかを直視する必要がある。これらの映像が撮影された目的は、残虐行為の実行者が指揮者に報告したり、卑劣な行為を戦利品のように自慢するという浅ましい理由によるものだ。犯罪者側の実態も同様に映像に含むべきだと考えた。」(映像中の犠牲者は画像処理で保護されている)

映画の公開にあたって映画制作者の望むことは、作品が出来るだけ多くの人に届き、支援の声があがることだ。ヘンティは言う、「できるだけ多くの人に見てもらいたい。世界の指導者たちがこの映画を見て行動を起こすことを期待しているし、ロシアで残虐行為に耐えている人々に、皆が彼らの苦しみに寄り添っていることを知ってもらいたい。」さらに、フランスはこう続けた、「だからこそ、ゲイの男性、レズビアン、トランスジェンダーの人々の勇気と強さを示し、正義に至るために必要な教訓となるよう、全ての人に伝えたい。」

『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』は、HBOドキュメンタリーフィルムズおよびパブリック・スクエア・フィルムズ制作。2020年1月に開催されたサンダンス映画祭の米国ドキュメンタリー映画コンペティションで世界初公開され、2020年後半よりHBOで放映。

取材対象者

“アフマド”:活動家らが運営するシェルターに身を寄せる青年の一人。チェチェンの迫害による避難者を受け入れているカナダへ渡る。

“アーニャ”:チェチェン政府高官の娘。男性の親類から干渉と絶え間ない監視を受け、自宅で監禁状態に置かれていた。性的指向が知られてしまい、国外への脱出を余儀なくされる。

デイヴィッド・イスティーフ:ロシアLGBTネットワークの危機対応コーディネーター。サンクト・ペテルブルグに拠点を置いていた元ジャーナリスト。チェチェンの迫害問題に取り組み、活動を率いる。

“グリシャ”:チェチェンで拘束され拷問を受けた生存者。そもそもチェチェン出身者ではないが、仕事のためチェチェンに滞在していた。チェチェン人でないことが確認され、沈黙を守るということで一旦解放されるが・・・

オリガ・バラノバ:モスクワLGBT+イニシアチブコミュニティセンターの創設ディレクター。コミュニティメンバーの危機回避のため、国内最大のシェルターを開設し運営を行う。

チーム

デイヴィッド・フランス(監督)

ジョイ・トムチン(制作総指揮)

アリス・ヘンティ(プロデューサー)

タイラー・H・ウォーク(編集)

アスコルド・クーロフ(プロデューサー/撮影監督)

ライアン・レイニー(視覚効果)

イゴール・ミャコチン(共同プロデューサー)

エフゲニー・ガルペリン&サーシャ・ガルペリン(音楽)
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