IMAO

風船のIMAOのネタバレレビュー・内容・結末

風船(1956年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

大佛次郎原作、川島雄三、今村昌平脚本による1956年の作品。

かつては画家を目指していた村上春樹(森雅之)は、今はカメラ会社の社長となっている。彼には息子の圭吉(三橋達也)と娘の珠子(芦川いづみ)がいる。三橋は森の会社で営業部長をしているが、バーのマダム山名久美子(新珠三千代)と関係している。三橋は愛人関係だと割り切っているが、新珠は三橋に惚れ抜いている。そこに森の画家だった時からの知り合い都築正隆(二本柳寛)と、その元愛人だった三木原ミキ子(北原三枝)が絡んでくることによって、この家族関係が次第に変化してゆく…

この映画の後半で、森がこんな台詞を言う。
「金という奴、生活に入用な分だけあるには良いが、それ以上あると人間を腐らせるだけの物なんだよ。俺は金のために画を描くくらいなら、と思って今の仕事に入ってまあ成功した…ところが…今度はその金が子供を腐らせ始めた。いや、この辺で金儲けとは手を切る方が良い。その方が自分のためになるし、子供のためにもなる。」
この台詞こそがこの映画のテーマだ。「年収600万の幸福」という言葉があるが、金はありすぎても幸福感が得られなくなるという。そんなの得た事がないから分からない!という人も多いだろうが、問題は得た金をどう使うかだし、金が目的になってしまっては意味がない。

ラスト、東京での職を捨てて京都で一人暮らす森。祭りの日に呼び出されて観に行くと、そこには末娘の芦原いづみが踊っている。「この歳になると、全てが虚しく思えてくる」と感じていた森だが、そこに娘が来てくれたことで、彼の人生に光明が差す…冷静に考えれば結構陰惨な話だが、このラストに救われました。

この映画何かに似ていると思ったら、成瀬巳喜男の『山の音』だ。あれも息子がダメ男で父親がその尻拭いをする、みたいな話だった。それにしても昔は部長クラスで、そんなに金があったんだろうか?
森雅之って何をやらせても巧い役者さんですね。この映画の役では60歳の設定だが、撮影当時は多分44歳ぐらいで老け役を演じている。彼自身は62歳で亡くなっていて本当に残念だが、数多くの名作に出演しています。
衣装デザインは、まだ映画の仕事をしていた森英恵。
IMAO

IMAO