JunichiOoya

親愛なる同志たちへのJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

親愛なる同志たちへ(2020年製作の映画)
2.0
コンチャロフスキーの父親、セルゲイ・ミハルコフはソ連及びロシアの国歌を作詞した「詩人」だそうな。
彼が日本で映画を生業にしていたら、オリンピックの記録映画とか撮るんでしょうね…。

ひたすらスターリンを我がアイドルとして幻想世界に生きるだけの木端役人(なので労働者階級への非難と啓蒙及び賄賂取りにはご執心)と、田舎の素人園芸大会出場実績だけが拠り所の「のど自慢、落ちこぼれKGB。二人のモラトリアムが演じる幼稚な年増のメロドラマに終わるならまだしも。そこに母子の「愛」を持ってくることで、ストーリーは混乱破綻の極みへ。

自分達が所属する組織の酷薄さに無知なふりして「より良く生きよう」とする二人がひたすら気恥ずかしい。そのナイーブさ(幼稚さ)を評価する人なんて世界中どこにもいませんよ。
二人はそれぞれの抱える絶対矛盾に決して向き合わず、当面の課題(娘の安否)だけに問題を矮小化して、それで「生きた」気になってる。

案の定、母親は世間を全く知らず、穴の開いた靴下のみに我が娘の拠り所を見つけた気になって号泣(+ウォッカガブ飲み)

馬鹿野郎! 皆んなの靴下には既に大きな穴が開いているのよ。あんただけなの、ストッキングをガーターで留めてカッコつけて、行列尻目に裏口に、回って塩と煙草をせしめてる卑劣漢は。

眼下のウクライナを巡る問題に関連づけてこの映画を取り上げる向きもあるようだけど、ロシアが公にスポンサーとなって作った映画として、ある意味(つまり問題のすり替えでその場凌ぎを続ける)ということなら、まあそらもありかしらっていう程度。
スターリンvsフルシチョフ的な台詞は再三登場したけれど、レーニンについては、胸像や旗印としては出てきても、何物も語らず。
そもそも体制として語れないのか、コンチャロフスキーに語るべき何ものもないのか…

ひたすら後味の悪い映画だったことだけは確かね。
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