りゅうき

オクトパスの神秘: 海の賢者は語るのりゅうきのレビュー・感想・評価

3.0
アフリカの荒波は海に人を寄せつけないかのように、岩肌にその身を幾度も打ち付けていた。
しかし1度水中に潜ってしまうと不思議なもので、陸上から見るよりも意外に穏やかな姿を見ることができる。

太陽の光が海中に広がる。魚が散り散りにゆっくりと泳ぐ。
高さ何メートルもある通称ケルプとも呼ばれる海藻が波に揺られて一斉に同じ方向に傾いていく。
アフリカの大地に住むカメラマンと、海底の岩陰に棲む一匹のタコとの物語が始まる。

自然は恐ろしい。
いつ食べられるとも限らない。
人間と違って安全は保障されていないのだ。
生きること、動くことは常に命の危険が伴う。

そんな自然界にいる、シャチのような生態系の頂点にいるわけでもないタコがカメラマンに接触したのは、彼女の動画を取り始めて30日後のことだった。
カメラマンがいつものように潜って住処に近づくと、ひょこっと顔を出すようになった。

彼女と目があった。

そっと手を伸ばすと、丸くたたまれた長い触手をスルスルとほどくようにこちらに差し出してきた。
吸盤の一つ一つが何かを確かめるように順番に腕に触れていく。
その唐突な邂逅の瞬間、海と陸の境界は溶けて消えていた。

昼も夜もカメラマンは会いに行き交流していた。

4ヶ月ほどたったある日、タコがサメに襲われた。
岩陰に隠れたもののサメが群がり、とうとう彼女の足の一本を鋭い歯が捉えた。

人には「水」のメタファーがある。
血を流すこと、涙を流すこと。
それらは心を示すことに繋がる。

海は常に海水で満たされている。
涙が見えることもなく、血が流れたわけでもないタコはどんな気持ちだったのだろう。
もぎられた白い断面がただただ痛々しかった。

瀕死のような動きで巣穴に戻った彼女は数日後、変わり果てたような白い姿をしていた。
鮮やかに変色していた頃の面影はない。

もう終わりだと思っていたその数日後、奇跡的な復活を遂げていた。
何なら腕生えてた。すごい。

ある野生動物に感情をもつということは、
捕食の残酷さを受け入れることも同時にしなくてはいけない。

イソギンチャクに隠れたカニをじっと待ち、
でてきたところをタコが素早く襲う映像が流れてきた。
タコに感情があるように見えてくるように、カニにも彼なりの思いがあるような気がしてくる。
実際どう思っていたのかを知ることもなく、カニはタコの中に消えていった。

ある時海へ行くと、彼女は魚に手を伸ばしていた。何度も何度も。
狩りにしては動きが雑だった。

カメラマンは考え抜いた末に、魚で遊んでいるのだと考えた。
魚の群れに手を伸ばしいたずらに群れをかき乱し続けていた。
魚の動きに飽きたのか、またいつものようにカメラマンに抱きつく映像が流れていた
それが、カメラマンとタコが触れ合った最後の日になった。

撮影を開始して300日がたったころ、ついにその時が訪れた。
二匹のタコが岩陰に並んでリラックスしている。
タコの交尾が始まった。

そして間もなく産卵が始まった。
タコの生涯は、特にメスは産卵とともに終わる。
飲まず食わず、体力をすべて使い孵化まで見送る。

幼体が海に散るのを見届けたタコの最期は決まっている。
弱り果てた生物は格好の餌食だった。

魚が、ヒトデが、小さく彼女の身体をじわじわとついばんでいく。
白くほろほろになった身にケリをつけたのは、やはりサメだった。

動くこともできなくなった彼女をいとも簡単に咥え持ち去っていった。
完全に脱力した白い腕が力なく揺れながら遠ざかっていった。

今はもうあの巣穴に彼女の姿を見ることはできない。
それでもカメラマンは潜り続け海を見つめ続けている。

彼女と触れ合い過ごした激しくも穏やかなケルプの森の住人として。
りゅうき

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