前作「ボラット 栄光なる国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」ですっかり有名人になってしまい、アメリカでのモキュメンタリー撮影が困難になってしまった、サシャ・バロン・コーエン扮するボラットが今回使っている手が、自分の娘をレポーター兼貢ぎ物として出演させること。
自分の娘というのはもちろん作品の中の「設定」なのだけれど、周りの人たちにはそれは明かされず、本当に「後進国」のカザフスタンからやってきた親子だと思わせることで、親子が体現する激しい男女差別や人種差別に対して思わず「オレも実はそう思ってるんだけどね」とつい本音を漏らさせ、差別の本質を白日の元に晒すという恐るべき手法を取っている。
あとで出演拒否できないよう、カザフスタンで放送するだけだからとごまかして出演許諾を取っているというのも恐ろしいけれど、それこそがコメディの本質をついている行為だろう。
作中のエピソードを挙げてもキリがなくて言葉で伝わることでもないし、前作未見でも問題無いのでぜひ観て欲しいのだけれど、物語の軸はフィクションで、産業革命前のようなカザフスタン(もちろん勝手な創作)のスパイとして娘を連れてアメリカに渡り、なんとか副大統領のマイク・ペンスに娘を貢ごうというもの。
が、ペンスに会おうとして潜入する「本物の」共和党の集会や、ライフルを担いだ連中が集う「本物の」反ロックダウン抗議運動、果てはレポーターに成長した娘が「本物の」ジュリアーニ元市長にセクハラされるなど、日本ではちょっと想像もつかない映像が繰り広げられるのだ。
それだけでもものすごい作品だのだが、最後の最後に今ならではの驚くべき結末までを用意するサシャ・バロン・コーエンの、クリエーターとしての矜恃と覚悟、無遠慮さには平伏せざるを得ない。
今年観た映画でベストかも。