試写会にて
被害者家族と加害者家族の対話をスリリングに描いた会話劇。
お互い息子を失った夫婦でありながら、加害者家族と被害者家族という全く異なる立場の夫婦が対話をする事でお互いの状況を知っていく。会話のみのお話なので、会話が進むにつれて一体どんな事件だったのか、一体どんな家庭環境だったのか、観客も同時に知ることになる。
まずこう言ったことが実現出来ていることに驚くが、アメリカではこういった修復的司法を取られることもあるそうだ。
加害者家族はまだしも被害者家族が対話することのメリットとは?と思ってしまうが、傷ついた家族が前に進むためにこう言った方法もあるのだと教えてもらえる映画になっているかと思う。
ずっと囚われたままでいたくない、ずっとつらいままでいたくない…お互いを知る事で前に進めることもある。
俳優達の熱演で緊張感を失うことなくずっとヒリヒリとしたスリリングな会話で見応え充分の作品だった。
気になったのは、中立的立場である教会のスタッフの間抜けぶりである。
非常に重たい作品なので、あえての抜け感なのだろうか?最初と最後に登場し彼らで始まり終わるので、監督の意図をちょっと聞いてみたい。
アフタートーク
日本では修復的司法が難しい
日本でも同じ試みがあったが潰された
出来ないんじゃなくて潰される
出来ないと言うのではなくこう言う手法もあるのだと考えていかなければならない
暴力を悼む映画
その先へ行くための対話
赦す必要はないが先へ行く必要がある
監督談
草原の柵は、被害現場のロープを想起させれるような表現
ラストの光は、その先の光を表している(希望とまでは言わなかった)