CATHAT

悪い奴ほどよく眠るのCATHATのネタバレレビュー・内容・結末

悪い奴ほどよく眠る(1960年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

三船×黒澤=痛快冒険活劇、という公式に慣れてから、今作のような重厚な社会派作品を観ると、実際作品が持っている力の倍以上のダメージを受けてしまうように思う。
同じ後味の悪さにしても『天国と地獄』は一応正義が行われていたのに対し、『悪い奴ほど』は、本当に何もかもが報われなくてただただ辛かった。
正義漢の西・気が弱いけれど優しかった和田・どこか憎めない欲張りおじさん山本。主要なキャラクターが結末も近づいた頃、クライマックスにさえ居合わせず殺されてしまったときの無力感。
時代的にあまり残虐な殺しのシーンを入れられなかった、という理由ももしかしたらあったかもしれないが、黒澤は故意に彼らの、特に西の死を画面上で描かなかったように思う。
主人公に相応しい「壮絶な死に様」を観せてしまえば、観客はそれで納得してしまう⋯きっと私もその1人だったはずだ。だから敢えて、板倉の語りだけで、西の死を観客に伝えた。まさか板倉の語りだけで、西を死んだことにはしないだろう、と、板倉の鬼気迫る語り口を聴きながら、佳子と一緒に「そんなの嘘だ」と、信じてなるものか、と期待してしまう私がいた。
「西の正義も何もかも無駄になって、単なる酔っぱらい運転で片付けられてしまった」という板倉の悲痛な叫びを遮る、西の痛快な声が聞きたかった。「俺は死んじゃあいないぜ。敵を騙すにはまず味方からって言うだろ」そんな台詞が聞きたかった。
だが、黒澤はあまりにもあっさりと西を殺し、そして佳子と辰夫の訴えという何よりの武器を以てしても改悛しなかった悪党の、淡々とした事後報告で物語を終わらせてしまった。
物足りない、のではない。納得できないのである。

《おまけ》
佳子がグラスを落としてしまったとき、辰夫を跳ね除けて彼女のもとに駆け寄ったときの三船の演技がとても好きだった。三船はカリスマ性はあるけど、仲代達矢のような演技派に比べると⋯というような意見もあるが、「荒削りな男の中に滲む優しさ」の演技を、ここまで説得力を持って三船以上に演じられる男優は、日本にはいない気がする(海外なら、クラーク・ゲーブルに少し通じるところがあるように思う)。もしかしたら、演技ではなく三船自身がそんな男だったのかも⋯と思わせるほど、良いシーンだった。その後の、佳子を抱きしめながらも何もできない、何もしてはいけないと、自分に言い聞かせているような苦悩の表情も逸品で、このシーンがあったからこそ、西と佳子には幸せになってほしかった。と、つくづく悔しくなってしまうのである。
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