肉袋

⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎の肉袋のネタバレレビュー・内容・結末

⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

「善く生きること」は圧倒的な暴力を前に成り立ち得るのだろうか。
冒頭、主人公水木が「血液銀行」に勤めているという話が出た時点から感じたことであるが、戦争によって命の有り難さを知りながら、同時に人の醜さ、愚かさにより生まれる理不尽な格差と搾取構造を思い知らされた人間が血液銀行という場所で地位の獲得を目指すというのは因業めいた哀しみに満ちている。水木は搾取されないために他者を搾取し生にしがみつくことを誓いながらも、善性を捨てきれず安んじて生きていくことを許せない自己矛盾に常に苛まれているようだ。
そんな自罰的とも言える水木が、のちにより直接的な暴力と死を伴った血液を巡る少数民族搾取の現場に直面したとき、特権階級の龍賀家に阿ることを拒絶し、搾取構造を破壊し自らを含んだ人類の「ツケを払う」ことを選択するのは、理不尽な格差に立ち向かい善く生きることを選んだということなのだろう。

他方で搾取構造に立ち向かうという観点で、
性的搾取の被害者であるさよの抵抗について考えてみる。
さよが水木を頼るというのはロマンスではなく、ただひたすらにやるせない選択だった。
劇中でもさよがいう通り、東京に出たって同じことなのである。老祖父に搾取される狭い村から出るために、また別の男を頼って東京に出ようというのは、自由を目指しているようで結局のところは男性への隷属の再選択だ。そしてそれは聡明なさよにとって無意識的な選択ではない。さよはどう足掻こうが女が自由になる道などないと気づいていた。"村の閉塞感を嫌い寄りつかない都会的な父親"さえも娘を指して「これ」を「くれてやる」と余所者の男に言い放つ世界なのだから。
根本解決にならない歪んだ意思決定であることを分かっていながらそれでもさよがそのような道を選ぼうとするのは、他に選択肢がないためだ。村から逃れたとてその先に辿り着いた東京でも、女が男を頼らずに自由に生きることなど許されていないと分かっていて、それでもよりマシな地獄に逃れられるかもしれないという可能性に賭けたにすぎない。
ロマンスに憧れる純真な少女を演じるというのは、さよにとって空虚なものであると同時に救いでもあり、自分をも騙していたに違いなく、それもまたやるせないことである。
理不尽な搾取に正面から立ち向かえた水木に比べて、立ち向かう自由さえないさよの不自由さ。
現代の日本には、女の子が搾取に抗い救われる道とそれを選択する自由ははたしてあるのだろうか。
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