1992年12月、ノルウェー首都オスロにて敵対するイスラエルとパレスチナにアプローチして対話の場を設けるという極秘の計画。
極秘の計画に関わったのはノルウエーの外交官モナ・ユールと、社会学者テリエ・ロード=ラーセンの夫婦。
2人はあくまでも仲介役で、対話には参加せずホストを務める。なぜここまでできるのか、モナは中東での若者の殺戮の場面を目撃したことがあった。
困難な対話の場、でもどちらも争いを続けたいわけではない。紛糾しながらも駆け引きと譲歩と最後の決断、オスロ合意に至るまでの経緯だ。
1993年のクリントン大統領を挟んでアラファト議長とイスラエルのラビン首相が並び握手する映像、この場面に至るまでの困難な和平交渉への道を知った。
またその後紛争が勃発して現在に至るのだが、モナの「私たちのしたことは無駄ではない」という言葉が印象的だった。
根深い歴史と宗教の絡んだ紛争がまだまだ終わりそうもないのは残念なことだ。