ふわもこベビーポンチョ

オッペンハイマーのふわもこベビーポンチョのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.3
隣のおっさんがイカや納豆、その他各種キテレツな匂いを放ち続けていて嫌だった。

戦争そのものよりは、あくまでオッペンハイマーという人についての映画だ。個人にフォーカスをあてている分基本的には淡々と進行するし、会話劇もけっこう小難しくて地味だ。したがって最近の戦争映画みたいな演出を期待していくと肩透かしをくらうだろうし、長い上映時間を持て余すことにもなるだろう。それによく分からない人物が次々に登場して、顔と名前を一致させきれないくらいのペースで場面が変わっていくことも多い。大筋をつかむのは難しくないが、余裕を持って細かい場面まで味わうにはそれなりの知識が必要になるはずだ。実際無教養よりの人間として告白すると登場人物の9割が何をされている方なのか結局よく分からなかった。だから自分の知識に自信がない、余裕を持って鑑賞したいという方はあらすじなんかを読みこなしておくのをオススメする。史実だからネタバレというネタバレもないのだし。

3時間と長かったうえにおっさんは臭かったが、すごくいい映画だったと思う。原爆のシーンがない、その他マンハッタン計画に関連する悲惨な作戦の全てが描かれていない、なんて意見もあるし、確かに同じようなことを思わないではないが、それらを取り入れてしまうとオッペンハイマーの伝記映画から戦争映画へと主題が変わってしまうので仕方ないのかもしれない。この映画は戦争の悲惨さを伝えるための映画では決してなく、自分が導いた地球規模の大事件に対して、天才とはいえただの一個人がどう立ち向かっていくかに重きを置いた映画なのだから。人類を巨悪から守るため夢中になってようやく成し遂げたはずの計画が、一転して「お前のせいで人類滅亡しま〜す。残念でした。ベロベロ」と言われることになったとき、果たしてそのひどくちぐはぐな現実を直視することは可能だろうか?曖昧になった正義と悪、ないがしろにされた真実と嘘とが自分の根底を揺るがし、自分のこれまでとこれからが誰かの言葉ひとつで勝手に作り出されていくなかで、全ての中心にいる自分がその圧倒的な重力に押しつぶされずにいることはできるのか?突きつけられた指先が、糾弾する口もとが、うち鳴らされる足先が、ピントを合わせるように人々の全体から剥離し、その独立した輪郭に痛烈な存在感を纏い、爆心地たる自分に向けてのみ激しく運動する。呆然とするオッペンハイマー。神にでもなった気でいたのだろうか。気づいたら人間ですらなくなりそうなのに。
被爆者1名:原爆、開発者1名:原爆。善良な市民が毎日1+1+1+...と地道に積み重ねてきた営為に、原爆は突如100万の目盛りを追加してそれまでの一切を陳腐化させる。つまり原爆の恐ろしさは巨大さにこそあり、それは都市に息づく鮮やかな物語の数々を、恐怖という物語たったひとつで圧殺してしまうのだ。そしてやはり人間である以上、それはオッペンハイマーにも同様に襲いかかったのだと思う。ビー玉でいっぱいのガラス鉢だったはずのものが死滅した地球のイメージへと姿を変えたとき、彼も原爆の巨大さに脅かされ、自分を構成する情報が恐ろしく単純で取るに足らないもののように感じたのではないだろうか。