フィルム・ノワールのお手本のような展開だが、それだけで終わらせないところがいい。
絵画のように重ねられるショットで、予定調和を裏切ることによって伝えながら、不倫の純愛を繊細にお洒落に描きあげる。
つらすぎる。セリフがないにもかかわらず、よくわかる。現代的なテーマ。こんなにも悲しいハッピーエンドがあるのか。
プロパガンダ映画ではあるが、「オデッサの階段」のシーンなど、迫力ある描写にあふれている。
古い作品を観るときは、その時代に目線を合わせるが、この作品は、現代の感覚のままで楽しめた、いやそれ以上。
カルト的な説教者が金のためにある家庭を破壊し、逃げた子どもたちはピューリタンの女性に拾われる。愛と憎しみ、あるいはアメリカ的な正統と異端の物語。数多くの変態的なショットのなかでも、真夜中に説教者と女性>>続きを読む
歴史的な価値もそうだが、当時の限られた技術のなかで、想像力を駆使しながら、今でも見られるものになっている。
今では絶対に撮れない映画であるだけに、作品それ自体の価値を超えて、多様な解釈の可能性が生まれるだろう。
愛を美化することなく、人生の運命のなかで、強さと悲しさ、そして美しさを描きだす。
刑事ドラマの古典というだけでなく、戦後という時代の人間の運命に迫る。志村喬のいぶし銀が最高。
カズオ・イシグロが脚本ということで。物語の舞台設定と時代背景は、これ以外になかっただろう。壮大なスケール。登場人物たちには品と影があり、美しくそして哀しい。
精神を病んでいく娘とその家族の孤独を浮き彫りにする。神が愛であるならば、愛もまた神の存在証明なのか。問われているのは、神学議論より深いもの。
純粋であるほど傷つかざるをえない。その痛々しさは愛おしく、感情を揺さぶられる。生きることの残酷さと希望、そしてたくましさ。