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アララトの聖母のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

アララトの聖母(2002年製作の映画)
3.5
【記憶を記録する渇望】
昨年、TSUTAYA浅草ROX店で引き上げてきたレンタル落ちDVDの『アララトの聖母』を観た。アトム・エゴヤン監督はイマイチパッとしないことが多いのだが、本作はヴィクトル・エリセ『瞳をとじて』の時に掴めなかったものの補助線になる作品であった。

『瞳をとじて』では記憶と記録を天秤にかけ、手繰り寄せていく物語であった。そこの紐付けが分かりにくかった印象を受ける。一方で『アララトの聖母』の場合、明確に記憶から記録へ移行していく渇望が描かれている。アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺を映画する。その現場で雑用係をしていた青年が、映画に触発される。彼の父親は亡くなっており、テロリストなのか英雄なのかわからない宙吊りの状態の中、青年は自分のアイデンティティのためにフィルム缶を輸送しようとし税関で対峙する。映画の中で、ナチスのホロコーストと比較し、歴史から抹消されつつある(トルコ側が虐殺を否定している)アルメニア人虐殺の存在を浮き彫りにする。それにより、人々の記憶を記録する必要性を強く訴えていく。映画は確かに虚構だが、忘れ去られつつある歴史を捉える重要さを兼ね備えていると語るのである。この語り口を前にすると『瞳をとじて』がピンと来るのである。
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