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オッペンハイマーのカカオのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.4
原爆の父、オッペンハイマーの半生を描く物語

昨年2023年にアメリカで公開。被爆国である日本にとってはデリケートなテーマであり、少し間をあけてようやく公開されました。



注目するべきところは原爆開発が正義の位置付けとして表現しているかどうか、が気になるところ。

























オッペンハイマー、
ナチスが降伏しても「日本がある」といったセリフがありましたが、やはり、とんでもないモノを作り出してしまったという罪悪感の表現も多くて、科学者として見てみたい好奇心の感情と世界的に重大な結論を導いた良心の呵責が作用していたことがわかります。


一方でトルーマン大統領、
対談の際に大統領が発せられたセリフのとおり、開発した者よりも投下を決定した人が非難されるべきであると思うが、本人には罪の意識がサラサラ無いように思えた。きっと後年も罪の意識に苛まれることも無かったのではないだろうか。むしろ戦争を早く終わらせたとして、誇らしく思っているように思える。






スターリンと会うまでに検証を成功させたかった事実があった。

「東京裁判」のレビューにも記載しましたが、ポツダム宣言の内容の協議のタイミングで、トルーマン大統領はスターリンに対して新兵器が完成したことを伝え、日本を攻めることに対してソ連に協力を求めていない。

の、筈なのに、「ラーゲリより愛を込めて」に描かれていたようにソ連は原爆を投下された状況の日本を侵攻する。既に日本の敗戦ムードが漂っている中、日本の領土を求めて容赦しない。しかも中立条約を違反してまでも。(ソ連より一方的に条約を破棄されたとは言っても有効期間が継続している状態)

また「日本のいちばん長い日」に描かれていたとおり、原爆が2つ投下されてもなお敗戦宣言することが大変だった日本。原爆の開発が無かった場合を想定すると、おそらく本土決戦になっても終戦の決断を渋り、北からソ連、南からはアメリカに攻められ、ドイツや朝鮮やベトナムのように日本も国が二分化されていたかもしれない。そのように思うと原爆の開発が終戦を早めた表現は間違っていない。本土決戦にならなかったことから日米双方の兵士と日本の民間人の多くの生命は救われたかもしれない。


だとしても、

だとしてもだ、
原爆の投下が正しかったとは思いたくない。
絶対に。


「母と暮らせば」のレビューで書いたとおり、先祖が小倉に住んでいた者として長崎の方々に申し訳なく思うことは一生変わらないであろう。


「太陽の子」で描かれていたとおり、日本も同様に新型爆弾を開発しようとしていた事実があった。仮に日本が先に開発していたならば形勢逆転していたのだろうか。いや考えたくもない想像でした。







さて、

私が注目するべきところは原爆の開発を正義の位置付けで表現しているかどうかでしたが、


特に原爆の開発を美化することなく、とは言っても多くのアメリカ国民が考えている戦争を早く収束させた意図を汲みつつ上手にまとめている印象です。


きっとトルーマンが主役だったならば、日本にとって非難殺到な出来上がりになっていたことでしょう。
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