ケーティー

僕たちがやりましたのケーティーのレビュー・感想・評価

僕たちがやりました(2017年製作のドラマ)
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プロット・あらすじは素晴らしいのに、描写で所々弱さがある作品


まず本作のプロット・あらすじはすごい。おそらく、この企画を考えた人たちはわくわくしたんじゃないかと観終わって思った。ラストも、原作を踏まえつつアレンジをしているが、原作を深掘りしていてすごくいいのだ。

しかし、演出・脚本ともに、描写が所々弱さがある。スタッフの意向などもあったのかもしれないが、小道具や風景を使った描写があまり多くない。うまいなと思ったのは、終盤の人生ゲームのようなボードゲームの遊びをさせつつ心情を吐露させるシーンだが、それ以外だとカラオケをよく使っているくらいしか印象にない。もっとも、カラオケはよく連ドラで使われている印象があり、描写方法としてのオリジナリティは少し弱いかもしれない。(カラオケは密室なので思いきった言動をさせられたり、歌で感情を表現できる)もっと、それ以外に印象的な小道具、場所、風景の使い方があり、それぞれの人物の心情描写の工夫があれば、よりシリアスさがまして迫ってくるので盛り上がったのではないかと感じた。

しかしながら、これは描写の手法としての問題であって、キャバクラやボーリング場、屋上の部室などなど絵的な魅力は随所にあり、絵そのものが単調というわけではない。あくまでも、その中で何を使ってどう心情を表現するかというところで工夫のしどころがもっとあったのではないかと感じたのである。

このあたりの描写の工夫は、今ちょうど再放送している木皿泉さん脚本「野ブタをプロデュース。」が抜群にうまい。何かをモチーフにして、台詞や心情描写を組み立てていくのである。また、展開の説明の方法も、単純な説明にせず、教頭先生や書店の店長が主人公の高校生たちに問題を投げ掛け、それが各話で回収されたり、展開の説明を同級生の漫才で見せたりとうまい。本作を同じあらすじ・プロットで木皿泉さんが書いたら、生きることとは何かを問う骨太な作品になったのかもしれない。しかし、そうした場合、本作の演出がもつ疾走感や高校生の恋愛のドキッとする魅力(少しエッチ)はなくなるかもしれない。(実際、木皿さんの作品でも、野ブタ。は成功したが、それをより純度を高く深めた「Q10」は視聴率的には失敗している)
どこに軸点を置いて、どうバランスをとるかを考えることは難しい問題だと、改めて考えさせられた。

ちなみに、描写の弱さ(もっと心情を描けたのではないか)と感じるところはあるものの、キャスティングがよく、それが脚本や演出以上の魅力を生み出している部分もある。特に難しいメインのカップルを、演技に定評ある2人が演じたことで、作品が成立している部分もあるのではないかと感じた。また、今野浩喜さんの破天荒だが愛嬌のある感じもグッドだし、間宮祥太朗さんの悪いことをやっていないようでさりげなく残酷なことをやっているというところも、そのへんを(おそらく意識して)さらりと演っているのがいい。また、本作の川栄さんは「蒲田行進曲」の小夏的な殊勝さがかわいくて、誰もが魅力を感じるだろう。