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仮面ライダーBLACK SUNのccのレビュー・感想・評価

仮面ライダーBLACK SUN(2022年製作のドラマ)
3.0
 最高の9話からの最悪の最終話で、どう評価していいのか困る作品になってしまった。基本非常に面白かったのだが、あのラストはどうしても評価できない。もちろんこのような「社会派」の意欲作がスッキリ終わることそれ自体がおかしなことなのかもしれないが、この作品のラストは少なくともアレではないだろうと強く言いたい。「悪」は簡単に滅びないというエンディングそれ自体がありきたり(そんなことは現実に生きている私たちがよくわかっていることで、ドラマの最後にそのような「現実」を切り貼りして付け加えられる必要はない)である。仮にそれで終わるとして、最後スタンディングしている少女の横に、葵も一緒に立つ、ではどうしてダメだったのか?そうすれば、たとえ道半ばだとしても、見てるこちらも「永遠に戦う」ことに賛同できるものを、あれでは「え受け継いだ戦いってそこなん?」で拍子抜けしてしまう。

 主人公らはおそらくかつての新左翼をモチーフにしているのだろうが、あの終わり方では勝ち目のない戦いをZ世代に引き継がせているように見えてしまう。どうも制作陣の中では間の左翼運動が忘れられ、断絶があるようである。新左翼以後、大きな物語以後の運動を抜きにして俯瞰ヅラされては、その後の左翼がまるで全てエピゴーネンであったかのようであまり愉快ではない。暴力革命を知らない世代が新左翼の亡霊と出会い暴力を知ったとて、ここまで揺らがされるものだとは思いたくない。いや信彦は確かに意図的に革命への動員を図ったのだろうが、光太郎と葵を慕う面々はそうではなかったはずである。永遠に戦うということは先の見えない敗北のバトンを渡し続けることではないはず。小さな勝利はあるし、だからこそ差別主義者、冷笑主義者たちによるバックラッシュがある中でも葵のような活動家がいるし、彼女が国連という舞台を勝ち取っているのではないのか。

 ラスト以外に文句がないのかと言えば正直たくさんある。仮にも与党が襲撃されているのに最終話まで入口すら修繕されずじまいなことに触れられなすぎるのも妙だし(しかし葵のスピーチがあるやいなや急にマスコミのシーンが入るので、余計にである)、元を知らない私でも不自然に感じるほど無理に入れられている『BLACK』の要素が少々気になる。息子たちが争わないと信じるというフワフワしたノリで残されるキングストーン、人間時代にもこの二人とは特に無関係な先代創世王、何より差別を描きたいのであれば、人体実験から生まれたという怪人のルーツは噛み合わないじゃないのか。挙句「怪人になりたい!」という奴までいては、いや、最初は被差別者へ無邪気で不適切な同調をする人間の表象なのかと思ったが、そんなことはなく、怪人になれて楽しそうな様を見せられては…。それなら「地球に住む宇宙人」で同じテーマに挑んだ『ウルトラマンタイガ』の方が適切な試みであっただろう。さらに終盤には突然日食とバッタの話をノルマのようにねじ込まれるが、当然こちらは置いてけぼりである。オリジナルの仮面ライダーを作るのは困難にしても、いっそ『アマゾンズ』のように、リブートでありながら借りているのは名前と見た目くらいと割り切った方がよかったのではと思うが、それでも、多少ガバいくらいでも許される特撮というジャリ番を、「多少強めに社会批判を行なえる場」として利用することを支持している身としては、これくらいは許容範囲であった。

 良かった点もお話したい。一見怪人の味方をしているようにも見える、いかにもな「良心的なおまわり」がいたが、彼も最後には葵を排除するための権力の犬に成り下がる様などは見ていて関心する。『孤狼の血』を手掛けているだけのことはある、とは私のえこひいきだろうか。事情はわかっているんだが仕方がないんだ、こらえろ、我慢しろ、とは同情的なようでどこまでも社会的強者、あるいは為政者の目線であり、その様はいくら葛藤を見せようが現存暴力を野放しにしている仕草であることに変わりはない。差別に中立などありえないしましてそれが警察となれば言わずもがなである。未だ続く川口駅前の現状を見れば、そこに「良心的なおまわり」などいるはずもないことはよくわかる。ただ差別主義者を野放しにする権力がそこにいるだけの話である。

 自分が怪人となってしまった(物語的には人体実験でなってしまったわけだが、明日突然に被差別者、社会的弱者になる可能性を秘めている現代においてはここはそこまで噓らしく見えない)葵が、「差別される側」にいる自分を受け入れるのに多少時間がかかっている場面などもよくできている。それこそ「民衆」の解放を目指していたかつての左翼(新左翼ではない)が、救うべき他者として民衆を設定していたそれと同じである。しかし葵は自分は人間であると同時に怪人であることを認め、乗り越えるために戦うことを決意する。奪い合わない、差別のない世界を実現するまで…と、この葵のスピーチには大いにエンパワーメントされたために、最終話の結末には心底ガッカリしている。

 明らかにテーマが多すぎ(人種差別、在特会、部落、人体実験、新左翼、首相周り、『BLACK』)で渋滞し一つ一つが薄くなってしまっている―特に『BLACK』のファンはこの作品に納得いかないのもよくわかる―が、その意欲は評価したい作品であった。仮面ライダーで政治的な話をするな…という寝言は何より石ノ森章太郎その人に失礼なのでこの際無視するとして、実際惜しい点が目立った。この作品を勧めてくれた友人の言葉を借りれば、露悪的なのである。安倍元首相と麻生太郎、彼らを捲し立てる野党、ハングルが目立つ怪人部落(なぜここは同列なのかわからない)、分派とリンチを繰り返す赤軍派…と、はっきり言い切れてしまうほど描写がベタベタ。加えて矛先があちこちに向きすぎているため制作陣の立場が不明瞭に感じ、風刺としても弱い。社会批判をおこなっているのか、あるいは中島みゆきではないが「世間を見たような気にな」っているだけなのかよくわからない。そして必要以上のゴア描写。『アマゾンズ』のような食人モノなら致し方ないだろうが、わざわざ腸を引きずり出したり、死体の目玉を飛び出させたり、糞尿を垂れ流させたり…何も「大人向け」とはそういうことではないだろうと呆れる場面も目立つ。最後に、やはり繰り返しになってしまうがあのラスト。仮に、抑圧されている者が暴力に転向する様を描くことが最初から目的だったのであれば、私の中のこの作品の評価は地に落ちる。その結果は現実の世界でも創作でも何度も見ている。そうではない希望を見たかったのだ。ニチアサではないにしろこれはヒーローの物語で、理想的、属人的解決であろうが、希望ある続きを見たかった。露悪的な「現実」を悲壮な面持ちで見ることを求められるのが「大人向け」なのであれば、その路線とはもう決別してほしい。そうではない部分で大人の鑑賞に耐え、かつ子供向けにも劣らない希望を見せてこそ「大人向け」のヒーローものだろうと私は思う。いずれヒーローに『ウルトラマンA』の最後の言葉の続きを見せてほしいと、切に願う。


あとせっかく変身ポーズとるなら、葵のライダー態見たかったな。
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