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鎌倉殿の13人のmochiのレビュー・感想・評価

鎌倉殿の13人(2022年製作のドラマ)
4.7
ようやく最後まで観た。素晴らしい。大河ドラマは1年間という長いスパンのドラマなので、いかにリズムを作っていくかがおそらく肝要で、本作はそこのところが非常に素晴らしかったと思う。歴史物語なので、どうしても事実を淡々と一つ一つやっていき、単調なテンポになりがちだが、本作は描きたいところはゆっくり描き、早く済ませたいところは早く済ませる、という方法が徹底されていた。たとえば、実朝が暗殺されるところは非常にゆっくり描いていたが、戦闘シーンは全般的に非常にスピーディーだった。
最終回まで観ることで、「鎌倉殿の13人」に三つ意味があることがわかる。一つ目は鎌倉殿(頼朝)の家臣の13人、という意味。二つ目は鎌倉殿(義時)が生まれるまでに、犠牲になった13人、という意味。これはすなわち義時が実質的に鎌倉殿になったということを示唆する。実際、義時の死のシーンは、頼朝が死んだときに政子の前に姿を現したシーンと構図が少し似ている。三つ目は鎌倉殿(政子)が確立するまでに、犠牲になった13人、という意味。こちらの解釈の場合は、最終回で述べられたメンバーから頼家が外れ、義時が入る。政子は義時とある種共犯の関係であることを最終回で認めているため、基本的には義時の殺害した人物は、政子の殺害した人物でもあるから、最後の2つの解釈の13人は基本的には共通する。しかし、頼家殺害は政子の知らぬところで起きているので、彼は除外され、代わりに義時が加わる。最終回でわざわざ頼家の話が出てきているのは、この第三の解釈を可能にするためだと考えることができる。
また、歴史とはある種の事実であるが、そこにどんな狙いや思い、意図があったかは実はわからない。合理性に基づき推定することは可能であるが、 あくまでそれは推定の域を出ないものであるし、実際の意図や狙いなるものの存在を認めるべきかも難しい問題である。そしてこれは、歴史に限らず人々の出来事解釈に関しても、ある意味言えることである。事実はあれど、解釈は開かれている。鎌倉殿の13人はこの点をうまくついていたと思う。浅いレベルではこれは三浦泰村の一連の行為で表現されている。深いレベルでは、我々の考察に開かれているシーンがたくさんある、という事実により、このことは表現されている。たとえば、最終回で、政子は「嘘は上手につくものよ」と義時に述べている。そうすると、最後の政子の義時に対する発言や行為は、実は政子が義時に対して「嘘を上手についた」結果である、という解釈が可能となる。つまり、最終回を標準的に解釈するなら、ある種義時のために義時の人生を終わらせる、という行為に政子は踏み切った、となるが、このように義時に思わせるための嘘を政子がつき続けている、という解釈も可能である。つまり、政子の行為をいかにして解釈するかは、標準的解釈はあれど、我々に開かれている。あるのは政子があのような行為をしたということだけであり、政子の意図が如何なるものか、政子の意図の存在をそもそも仮定して良いかは全く明らかではない。
本ドラマは高度なエンターテイメント性を備えつつ、考察の余地を含んだ、極めて素晴らしいドラマだと言える
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