幽斎

エンパイア・オブ・ライトの幽斎のレビュー・感想・評価

エンパイア・オブ・ライト(2022年製作の映画)
5.0
【幽斎的2023ベストムービー、ミニシアター部門第1位】
レビュー済「1917 命をかけた伝令」Sam Mendes監督が80年代初頭のイギリスを舞台に、映画館に集う人々をDeep emotionに描いたヒューマンドラマ。「女王陛下のお気に入り」アカデミー主演女優賞Olivia Colman。イギリスの黒人問題を描いた「スモール・アックス」新鋭Micheal Ward。Tジョイ京都で鑑賞。

私は地元の京都の映画館で年間100本程度の作品を観る。その中で1~2本は作品に対して考察も感想も無い、即ち言葉の必要性を感じない見事な作品に出逢える時が有る。Filmarksの4.8と5.0の間に有る差を、私の下手なレビューで台無しにしたくない。そんな想いに駆られる位に余韻に浸れる。「映画は人生だ」本作の感想は此の一言に尽きる。

本作を語るには当時のイギリスの社会背景を知る必要が有る。私が小学生の頃に映画館で初めて一人で見たのが「007」。以降、007は私の映画の教科書として今も深く心に刻まれてる。当時のジェームズ・ボンドは5代目Pierce Brosnanだが、中興の祖Roger Mooreの時代は鉄の女Margaret Thatcher首相が、アメリカと同じ新自由主義を取り入れ、富裕層と貧困層の格差が始まる。日本でソレに同調したのが、小泉純一郎総理大臣。

「ゆりかごから墓場まで」国民全員が無料で医療サービスを受けられる。労働党の政策は「英国病」と呼ばれ、硬直した保護政策はスタグフレーションを生み、イギリスで最も大事な基幹産業「鉄鋼」が崩壊すると失業率は世界恐慌に匹敵。政権を奪ったThatcherは国営の水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空等の事業を全て民営化。ハレーションで全国でストライキが勃発。「アメリカの兄」としての国際的な地位は失墜。大英帝国の象徴ロールスロイスは今やドイツのBMWの子会社。批判の矛先はイギリス連邦から受け入れた黒人に向けられる。トリニダード・トバゴは今もイギリス連邦国。

「1917 命をかけた伝令」レビューでも触れたが、Mendes監督は私が愛する「007」でChristopher Nolanと最後まで監督の椅子を争う。Mendes監督の師匠は年下のNolanだが敗れた為、自分で007を創ったのが「TENET テネット」。勝ったMendes監督は最高傑作の誉れ高い「007 スペクター」完成させたが、監督の人生観は代表作「アメリカン・ビューティー」から変わらない。共同脚本と言うスタンスを貫き客観性を担保したが、本作は初めての単独脚本。監督は「最も個人的な想いが籠った作品」と本作を評した。

インタビューでColmanのモデルは自分の母親で有る事。精神疾患を抱える中年の母親を見つめる子供の視点。本作にメンタルヘルスのテーマを感じるのは、その為で統合失調症とは、心や考えが纏まり難い精神疾患。多くの場合は幼少期の体験に起因するが、本作でもColmanが幼い頃に父親と釣りに出掛けたが、一匹も釣れないエピソードを語る。父親は釣れる場所を知らない事を恥じて、人に聞けなかった。つまり父親も何らかのコミュニケーション障害だと分る。

スリラー的に考察すると、父親の寵愛が原因で母親はColmanを恨んだと話すが、現代風に解釈するとソレは父親が小児性愛者だと推察出来る。夫は妻に隠れて只ならぬ愛情を娘に注いだ。妻は夫の異常性を恥じて蔑み恨んだとすると、Colmanは「恥」のメタファーだと分る。Colin Firthを手コキしたり和姦に応じるのも、父親から受けた虐待の延長線が続いてる事を示唆する。黒人差別を受けるMicheal Wardが、彼女をケアする様に映るが、レイヤーの異なるマイノリティが共に心を通わせる。ロマンスが心に潤いを齎すと描く、此の作風を受け入れられるか否かで、本作への評価は定まる。

制作したイギリスと配給したアメリカで評価が割れてるが、マイナスのレビューの大半は「映画と恋愛に夢を持ち過ぎてるんじゃない?」と言うオーディエンス。私は見た方の人生に対する価値観とか哲学にまで遡ると思う。ネガティブな方は、何をしても良い事をしたとは思えないし、他人の行いも良い事だとは思えない。人生に於いて何が良い事なのか分からないと、自主的な行動は何も起こせない。故に行動を起こす時は善なのか悪なのか考えない様になる。誰でもやってる事だが、度合いの大きい方を世間ではポジティブな人と呼ぶ。私に言わせれば社会とは合理的に不合理で、不合理に合理的。つまり人生に正解は無いし不正解もない。光に照らされたポジティブな世界は、ネガティブの暗黒から目を逸らす事で可能に成る、ソレが私達の住む社会なのだ。

Toby Jonesの台詞が全てかもしれない「フィルムは秒間24コマの静止画の連なり。しかし視神経に間違いが起こる。フィルムの間の暗闇が消え連続する動画に見えてしまう」映画は脳の錯覚に依って成立する芸術だが、ソレはフィルム時代もデジタル時代も変わらない。映画は所詮暗闇に浮かび上がる幻。幻は現実の問題を解決してくれる訳では無い。映画に力が有れば人は戦争を止める、差別も止める、貧富の差も消える。Mendes監督は映画の力を説く一方で「人生ってそんなもんだよ」在るが儘に描く、だから心に響くのだ。私は「映画と恋愛に夢を持ち過ぎてるんじゃない?」そう思える人が羨ましい。

本作にはもう一人の監督が居る、Roger Alexander Deakins。「1917 命をかけた伝令」「007 スペクター」現代最高の撮影監督で「ブレードランナー 2049」私の第二の師匠でヴィジュアリストRidley Scott監督の名作に、見事に打ち勝ちアカデミー撮影賞。本作もフレームを動かさず、静止画の様に隅々まで計算され尽した見事な画角と奥行き。エンパイア・シネマの劇場の美しさには溜息が漏れた。彼の映像美はRembrandt van Rijnの絵画の様に「恥」と言う闇の深さから浮かび上がる映画の「光」の様な煌めきと輝き。私は2人が屋上で見た花火の美しさを一生忘れる事は無いだろう。でも、それも「幻」なのだ。

私が劇場で観たのは最終週でお客さんも疎らだが、エンドロールが始まると一人だけ女性の方が小さな音で拍手をしてた。見知らぬ女性の拍手で、私の感想は完結したと思った。其の人は作品を観て感動して拍手した、遠くに居た私もその拍手をしっかりと聞き届けた。もうそれだけで私には十分だった。本作が面白くないと感じた方は本気で人を愛した事が無いのだ。不治の病で婚約者を失った私の言葉なら、些かの説得力は在る筈だ。

誰かの優しさもまた、誰かの光と成って闇を照らす。自分を好きに成る事から始めよう。
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