幽斎

TAR/ターの幽斎のレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0
【幽斎的2023ベストムービー、スリラー部門第1位】
レビュー済「ナイトメア・アリー」Cate Blanchettがベルリンフィル初の⾸席⼥性カリスマ指揮者Lydia Tárを圧倒的な存在感で演じ、世界各国の映画賞を席巻。最上質なサイコロジカル・スリラーの傑作。Tジョイ京都で鑑賞。

Catherine Élise Blanchett 53歳。オーストラリア系アメリカ人。メルボルン大学で美術史と経済学を専攻したインテリ。「アビエイター」アカデミー助演女優賞。「ブルージャスミン」主演女優賞。本作でもアカデミー主演女優賞ノミネート、ヴェネチア映画祭女優賞、ゴールデングローブ女優賞。美貌なルックスと舞台演劇で鍛えた力強く深遠な演技で観客を魅了。夫のAndrew Uptonはハリウッドでも指折りの脚本家。

Todd Field監督 59歳。初長編「イン・ザ・ベッドルーム」アカデミーでサンダンスに出品された映画史上初の作品賞候補。「リトル・チルドレン」アカデミーで自身の脚色賞を含む3部門ノミネート。しかし「16年間」音沙汰なし。多くの企画が立ち上がっては消えを繰り返す、本作もBlanchettのエージェントに連絡したが「3年間スケジュールが埋まってる」断られた。車の運転中にソレを聞いた監督は追突事故を起こし救急車で運ばれた。エージェントは「彼女に脚本を送っても良い」監督の体調回復を待って制作。車内のカタカタ音は監督の車から録音、何で?(笑)。

アカデミー作品賞、主演女優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞ノミネートされたが全て無冠に終わる、「エブエブ」の奴め。ハリウッドメジャー、ユニバーサル制作だがオスカー前哨戦の拡大公開で圏外から10位が最高。ターが実在の人物と思い込んだ観客が少なからず居たが、監督は夢が叶った途端に奈落の底に落ちるキャラクターを模索。天国から地獄へ「ナイトメア・アリー」主従逆転にも見える。共演はスウェーデンの名優Allan Corduner「007/ユア・アイズ・オンリー」以来久し振りに見た。私の好きなMark Strongがカツラで登場。エンドロールにWigスタッフの名前が(笑)。

本作のプロットは「Sadism」加虐性。Tárはキャリアでも職場でもトップオブトップ、謙虚さや慈しみの無い態度に本人が違和感を感じない典型的なソシオパス。最近の英米のミステリー小説では「Demi Psychopath」ブームだが、自分のお気に入り以外の人間には裏の顔で接し、自己愛がとても強い。ソシオパスの特徴は「他人をコントロールしたがる」。元ネタはJ. K. Simmonsにオスカーを齎した「セッション」。支配的且つ加虐的な振る舞いで、本作では恫喝的なシーンこそ無いが真綿で首を絞める、遠回しにジワジワ相手を追い詰めるのはソシオパスの真骨頂。Tárがジョギング中に聞く叫び声は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」Heather Donahueの音声、何で?(笑)。

イントロダクションでモノラル・サウンドミックスが鳴り、オーケストラが進行するに連れトラックが追加され楽曲が響き渡る。私はErik Satieが好きで交響楽には造形は無いが、劇場で聞くクラッシックは、トップガン マーヴェリックとは違う映像体験。配信で見る方はヘッドホン推奨。再三劇場で予告編を見たので、TárのLGBTQを押し出す作品かと思ったら「Misogyny」女性らしさの嫌悪は意図的に多くを語らない。監督は何を描きたかったか?。答えは「Social Grooming」直訳すると毛繕いだが、Tárはピラミッドの頂点に君臨するが、下の者を自分と同じ色に染める行為を、アメリカでは「グルーミング」ステルス的パワハラと言う。学校の先生と生徒の関係を思い浮かべれば分かり易い。

グルーミングの最小単位は「家族」。Tárの家族はパートナーの女性と養子の子供。キリスト教国のアメリカでは厳然たる家父長制「Paternalism」が存在。特に父親と息子の関係に見る事が出来る。養子がイジメに合うと、Tárが「私が父親だ」ハッキリ言う。世界的な指揮者がソーシャルで音楽院で教える事に強い違和感を感じたが、彼女は圧倒的な優劣差を生徒に感じ悦に浸った。暴力では無く理性の抑圧を描く為に男性では無く女性指揮者。自分の話を誰にも遮らせず喋り続ける。ピラミッドの頂点に居る者の特権です。

【ネタバレ】Tár転落の原因を考察します。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

彼女が転落した最大の原因は「Misophonia」音嫌悪症。耳鳴りと誤解されるが、耳鼻科では無く精神経科に該当する鬱病や強迫性障害。あらゆる音に過敏に反応、音を出してる相手を攻撃したくなる等。5人に1人の割合で居るとも言われるが、認知度は極めて低い。現在の医療では直ちに治す事は難しい。他人の貧乏ゆすり、冷蔵庫の音、車の振動音等。Tárにも過呼吸やパニック症が見える。最終的に自分で自分のコントロールを失う。

2番目は支配権の崩壊。秀逸なのは性別の格差より社会的地位の格差。個人間の構造上の欠陥を描く点が視覚的にも新しい。クリスタの他にも秘書のフランシェスカ、チェリストのオルガ、パートナーのシャロン。彼女達はTárに親しみを持つ訳では無く、彼女の権力で自分達の夢を叶える道具として接した。フランチェスカは恩恵を返さないと悟ると姿を消した。オルガは利用する側の人間で逃げるのも早い。経済的な援助が無ければシャロンも出て行く。Tárは自らの人生は砂上の楼閣だと気付く。

3番目は「Cancel culture」ソーシャルメディアで過去の言動を理由に対象人物を追及する排斥行為。音楽院のシーンでSNS上に悪意の在る書き込み、日本で言う切り抜きですね。登場人物では無いスマホで彼女を撮影しコメントするシーンが幾つか挿入、名も無き投稿者が追い詰める。加工された映像が拡散する事が正しいのか疑問符も付くが、中古車販売業者ビッグモーターの様にキャンセルカルチャーは現代の「だるま落とし」。頂点に君臨する者を突き落す力を秘める。

4番目はアジア蔑視。彼女が縋ったのはアジア、言及は無いがフィリピンと分かる。ドイツでは見放されたが、是非日本へとは1㎜も思わない。自分のルーツはアジア(後述)、此の地なら再起が見込めると、何処までも他者を舐め切ってる。マッサージと紹介された所は風俗店。多くの女性から一人を選択するのは、オーケストラの指揮と重なる。無意識に5番を選んだが、アレは彼女が指揮する筈だった「マーラー第5交響曲」と言う意味。人を選べる=権力、指揮者として奪う側から労働者として奪われる側に堕ちた事を可視化され敗北感から嘔吐した。唐突に出て来たコスプレ、劇場で意味が分らず友人に聞いたら「お前、モンハン知らないのかよ」馬鹿にされた(笑)。監督も露悪で嗜虐な演出が好きらしい。

【ネタバレ】エンディングに3つのレトリックが存在する点を考察。自分にドレが当て嵌まるのか一緒に考えて欲しい【閲覧注意!】

①「凋落説」ゲームのコスプレに身を包んで音楽の素養など微塵も無い(異論は認める)前で、オスカー、ゴールデングローブ賞、エミー賞、トニー賞を受賞した彼女がタクトを揮う。エンタメの頂点と底辺を人生の凋落に置き換えた。なぜモンハンなのか?、モンスターハンターとはTárが狩る側から狩られる側に変わったと言う意味。

②「再起説」新たなエージェントの仕事の前に、相当久し振りに実家に帰った。部屋で敬愛するHerbert von Karajanのビデオ―テープを見て泣いた。此の時点で彼女はサイコパスでは無い。兄から顔の表情を指摘されるが、何故指揮者を目指したのか。前半のシーンで「音楽は言葉を超える力が有る」彼女が語る通り、原点に立ち返る様にも見えた。何処でも構わない。音楽を楽しむ人が待ってるなら指揮者として本望だと。

③「精神世界説」其れ式の事ではアカデミー脚本賞にはノミネートされない。本作には真のエンディングが隠されてる。私は序盤でメトロノームが勝手に動くシーンでピン!と来たが、幾ら音嫌悪症で昔の元カノが自殺したからと言って、ソシオパスの彼女がアソコまで取り乱すのはどう考えても違和感が拭えない。薬を過剰摂取するシーンも無く、零落れたフィリピンの彼女は私は存在しないと思う。

分岐点はオルガを乗せアパートで降ろし「廃墟」に入ったシーン。私には決定的な証拠が有る。皆さんは彼女の背後に心霊現象が有った事に気付いただろうか?。彼女の傍らに髪の長い女性が一緒に映り込んでる。NYタイムズの記者からインタビューを受けてる時、観客席から見下ろす後ろ姿の赤毛の女性。ランチの後、仕事部屋のピアノの前に座った後ろの赤毛の女性。もう、誰だかお分かりですね?。

クリスタ・テイラー。Tárとはレズビアンの関係。飛行機のトイレで捨てた本「チャレンジ」巻頭に「同性愛者の恋愛」と有る。本は実在しVictoria Sackville-Westと言うイギリスの詩人「別れを告げられた女性が自殺すると相手の女性を脅迫する」その本を見て、指揮者の剥奪では無く恋愛に絶望して自殺したと悟る。メトロノーム、森で聞いた叫び声、大事なマーラーの楽章の紛失、ライブ録音でトランペット奏者がファンファーレを演奏する隣に指揮者のTárが居る不自然。頭を打ち怪我をした夜、死んだ筈のクリスタがベッドの横の椅子に腰掛けてるのは、かなり鮮明に解る。

なぜフィリピンなのか?、ソレは予告編に隠されてる。彼女の顔や部屋のオブジェの幾何学模様は「Shamanism」シピボ族の霊魂を重んじる文化。煙を吐いてるのは先住民の幻覚剤。フィリピンにもBabaylan、霊と会話が出来る人達が居る。Tárは精神世界を深く理解していた。長く成るので割愛するが監督には謎を解く「完全版」も見せて欲しい。
www.youtube.com/watch?v=nXK-tqy3QS0

「Tár」はArt芸術のアナグラム。自分の名を消し去る事こそアイデンティティなのか。
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