原作が本当にすごかったので
原作の文章の密度というか、ちょっとした感情の揺れを映像に翻案するのはかなり難しかったと思うけど、映画としていい感じにまとまってはいた
やっぱこういうのは数人エピソード薄くなる人たちが出てくるよね
八重子と大也の最後の会話のところは原作よりも一応の救いがあった気がする
水に興奮するなら朝から水の動画食卓でみるか?っていうのは気になった
原作にそんな描写あったっけ
朝井リョウ、何冊かしか読んだことないけど本当に人間の細かい感情の機微を表現するのがうまくて、でも、オムニバスにしてそれをやっていることで、自身は誰にも感情移入しないで書いている、という冷たさもある気がする
その冷たい傍観者の視点から書いている話なので、「結局なにが良いと思うの?」という結論が(それを出したいのだとすれば)完全に読者に委ねられてるなというのは感じるよね
この話で行くと、じゃあ結局最後は水フェチであるのは世間に迷惑かけないから理解されれば良いのか?というとそんな単純な結論ではないし
性的マイノリティのエンパワメントになるような作品かと言われるとそんなこともない気がするけど、世間一般の「普通」になることが、自分に嘘をつくことになる、「普通」になることが難しい人もいるという話を綺麗事じゃなくやっているので、すごいなと思う