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猿の惑星/キングダムのうかりシネマのネタバレレビュー・内容・結末

猿の惑星/キングダム(2024年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『聖戦記』から300年後を舞台に、シーザーを信仰する者と教典を捻じ曲げて圧政する者との衝突を描く。そしてそれは人の時代を復興させる者と猿の時代を築く者に重ねられる。
新三部作とは独立しており、『猿の惑星』を観ておけば問題なく理解できる。

村が焼かれ連れ去られ、悪人によって収容所で強制労働させられ、主人公が脱獄し、爆弾を使って雪崩を起こす、と外枠は『聖戦記』まんま。
いまいち目標がないまま(それにより自然体でキャラ性を掘り下げるという目的もなく)進み、目標が生まれてからもなんとな〜くロードムービーをして妙にゆったり。
立体的な猿同士のアクションは『創世記』のようで面白い。『エターナルズ』や『プレデター:ザ・プレイ』のような美しさではないにしろ、風景の捉え方も綺麗。
前作の時点でそうだったが内容はほぼなくなり大作アクション映画的で、子供向け映画としては面白い、という感じ。
シーザーは猿殺しの咎によって死して伝説になったが、ノアはその罪を受け止めることもなく終わる。人も同族殺しをやっているのに、猿も同じことをするせいでそこにもやはり罪は生まれない。
ラストでは人間の浅ましさとその克服が描かれるが、どのみち人間は衰退するしかない。シーザーの掲げた理想についても、どのみち猿の地位は揺るがない。
バッドエンドのプリクエルなのに年表埋めをしているだけなので、一本の映画としての気持ちよさと末路が釣り合っていない。
“シーザー教典”にしても、本来なら双方が正しさを主張するイデオロギー闘争になるはずなのに、観客がメタ的に答えを知っている(し、悪人のやり方が悪すぎる)ので、確証もなく「こちらが正しいです」で善と悪のアングルで終わらせてしまう。何ともアメリカ的というか、ここまで分かりやすくするなら宗教要素を入れた意義がない。

シリーズとしての面白さは「猿と人間の逆転」にあり、本作でもそれはあるものの、そのシーンを除けば“猿の惑星”でやる意味を感じられなかった。
『猿の惑星』の洞窟に繋がるエピソードではあるものの、2323年(『創世記』,仮に2011年から『新世紀』が10年、『聖戦記』が2年、『キングダム』が約300年)から『猿の惑星』の3978年まで1600年以上あり何とでもなるせいで、直接繋がらないので何とも言えない。人類史(現代)と地続きの三部作からも、一作目からも年代がジャンプしているので、プリクエルとしての旨味が使われていない。

この感じで実写版ダの説が観られるなら嬉しいかな。