りっく

658km、陽子の旅のりっくのレビュー・感想・評価

658km、陽子の旅(2023年製作の映画)
4.1
冒頭より陽子の生活っぷりが映し出される。ネットで日用品を注文し、必要なものは検索し、分からないことはチャットでやりとりし、タブレットで動画を楽しむ。声を出さずとも、他人を頼らずとも、家の中で自力で生活できてしまう。それは現代に生きる人々と地続きの暮らしぶりだろう。

だからこそ、彼女は声の出し方さえ上手くできない。声を出す練習をパーキングのトイレの個室で練習する彼女の姿を思わずやや小馬鹿に笑ってしまう。だが中盤から終盤にかけて徐々に明らかになる彼女と父親の関係、故郷との距離感、そして自分が間に合っていない人間だという自覚。どこにも顔を合わせられない状況に追い込まれた人生の焦燥によって、まるで金縛りに遭ってしまったような感覚は他人事とは思えなくなる。

彼女にとって疎遠になっていた父親は永劫憎むべき存在であろう。そんな父親との過去を精算して赦すような展開にはならず、あくまでも父親の死は自分が目を逸らしていたものと対峙するきっかけに過ぎないのがいい。

周りの目を気にしながらも見ず知らずの他者に頭を下げ、密室の車内で他人と長時間過ごさなければならないヒッチハイクは彼女にとって地獄だろう。だが、他者と言葉を交わさずとも同じ空気を吸い、寒さやぬくもりを感じ合えることによって、自己を少しずつ変革していく菊地凛子の所作がとにかく素晴らしい。
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