ラウぺ

ゴッドランド/GODLANDのラウぺのレビュー・感想・評価

ゴッドランド/GODLAND(2022年製作の映画)
4.2
19世紀末、デンマークの牧師ルーカスは植民地のアイスランドに赴き、教会を建てる任務を与えられた。船で行けば到達できる任地に敢えて陸路で向かい、現地の地勢風土やアイスランドの生活様式を知ることに勤めようとしたが、自身の趣味ともいえるカメラで現地の様子を撮影するという目的もあった。しかし、その旅は想像を絶する困難さを伴うものだった・・・

未開の地にキリストの教えを広めるために牧師や神父が赴く・・・という話は、大抵はその困難さの末に悲劇的結末を迎えるケースが多いわけですが、この物語もアイスランドの峻厳な気候風土がまずもって西欧世界の常識を超越したところにあり、それだけでこの旅が容易ならざる困難さを伴うものであることは冒頭から明白なのですが、それに加えてデンマーク人とアイスランド人との間には征服者と被征服者という極めて致命的な断絶があり、また双方の言葉の壁もあって人の融和が簡単に行えない、という更なる困難が待ち受ける。
双方の話す言葉がまったく分からないまま旅を続ける様子は、二つの異文化が交流することの困難さを象徴しているように見えます。
えてしてキリスト教の布教には野蛮な地に神の救いを伝えて哀れな人々を救済する、というキリスト教圏の独善的な上から目線の産物であることが明らかなわけですが、当然そのような行いには副作用が伴うことになる。

ルーカスの赴任には彼自身のパーソナリティの脆弱さに加え、信仰心そのものに牧師に相応しい人格的素養が備わっているか?という問題がじわじわと兆してくる。
物語の後半それが思わぬ形で顕在化することになるわけですが、この(キリスト教的な意味での)神の威光の及ばない世界において、キリスト教の布教に伴う問題が顕わになるのと同時に、そこには西欧人の人知や宗教そのものを超越した、絶対的な神の世界における因果律=普遍的な道徳と正義というべきもの、が確かに存在しているのでは、と感じるエンディングを迎えるのでした。
キリスト教やそれより前に人がこの地に訪れるはるか前から、そこではひとつの掟というべきものが存在して、それがこの地では絶対的なものとしてあらゆるものの上に存在しているのだ、という意味において、この映画のタイトルは非常に大きな意味を持つものと感じられるのでした。
映画で掲げられるタイトルがオランダ語とアイスランド語両方で記されていることが、これまた大切に感じられました。
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