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落下の解剖学の傘籤のレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
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ある雪山の山荘でひとりの男が落下して死んだ。これは他殺なのか、自殺なのか。夫殺しの嫌疑をかけられた妻と、視覚障害をわずらう息子のダニエル。事件をめぐって検事や弁護士がひとつひとつの事象を綿密に調べ、真実を追求していく法廷映画。

本作の物語がドライブするポイントは2か所あって、ひとつめは夫の死体が発見された場面。そこにいたるまでは、登場する人物たちの細かい挙動(例えば目線だったり、くつろぐ様子だったり、犬を連れて雪山を楽しそうに歩いてるところだったり)から、その心情を推し量ることとなる。しかし死体が発見されて以降は一種のミステリーの様相を呈し、徐々に隠されていた秘密や嘘が明らかになっていく。

もうひとつは裁判がはじまってしばらくして、新たな証拠として「録音された夫婦喧嘩の声」が提示される場面だ。何が嘘で、何が真実なのかはこの映画において端から重要ではなく(ありがたいことに登場人物が台詞として言ってくれるくらいそのことは強調される)、「なにを真実の物語とするか」ということの方が重要なのだと説いてくる。それは、この夫婦喧嘩の録音という、見方によっては”決定的”になり得る証拠であっても、想像の余地を出ない部分があり、であるならば、「みんなが納得するラインの物語をつくる」という共犯関係のような前提が出来上がるわけだ。
それが『落下の解剖学』における”法廷もの”としての面白さであり、同時にそのことをテーマとすることで本作は”法廷もの”が抱える問題点(”限界”と言い換えてもいい)をあぶりだしている。

当然の帰結として、この映画は、そこで実際に何があったのかは描かない。「実は真相は~だった」という後味が悪くなるようなオチも用意しない。人が主観的にしか現実を把握できないのであれば、なにがあったかは、ただひたすらに想像することしかできず、そうしてどこかで折り合いを付けざるを得ない。ダニエルは1年間、裁判を傍聴することでそのことを理解し、誰におもねるでもなく自分なりの”真実”を提示し、そのルートの人生を生きていくことを決める。

言葉の重要性は後半に行くにつれ上がっていき、脚本の巧さによって私たちはこの裁判の行く末を共に傍聴する。そうしてあなたの心の中に生まれる”真実”は、やはり”真実らしきもの”でしかなく、どこまで行ってもすべては主観的なものでしかない。

あまり本編とは関係ないけど、ダニエルが飼い犬にアスピリンを飲ませてかつての出来事を再現しようとし、犬が気絶して大泣きするシーンは、彼の心情がさっぱり理解できなかった。いくら追い詰められていたにせよ、愛犬を使って実験する心理も、実際に犬が死にそうになると泣き喚く心理も、私にはわからない。

あと犬の名前が「スヌープ」でちょっと笑った。
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