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瞳をとじての傘籤のレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
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「恐れも希望も抱かないことだ」

「老い」とどう向き合うべきかというミゲルの問いに対して答えたマックスのこの台詞は、人生や老いについての言葉であると同時に、映画そのものについての監督の心情を表しているようにも思える。
映画。切実な装置。
映画を観ることで私たちは影響を受ける。受けざるを得ない。その度合いは人それぞれではあるが、良くも悪くも何らかの恐れを、何らかの希望を観ることによって抱くこととなる。
その切実さ。この映画には「映画」という装置に囚われた側の切実な視点が強く感じられる。それは映画愛を表現するなんて生易しいものではなく、人生において映画という存在が不可分な域まできた者の悲哀とも祝福ともつかない特別な切実さだ。
つまりそれは、映画とここまで繋がらなかったあなたの人生、ありえたかもしれない可能性、何を得たのか以上に、”何を失い”ここまでたどり着いたのか、それを心の中で幻視してしまう悲しみだ。いや、この感情を「悲しみ」と名付けていいのかはわからない。人によってそれは歓びなのかもしれないし、孤独なのかもしれないし、絶望なのかもしれない。でも私には『ニュー・シネマ・パラダイス』のような映画を愛し続けてきた人に対しての優しい祝福の映画という"安牌"な在り方よりも、この『瞳をとじて』という、それをある種の恐ろしいほど切実なものとして捉えるたたずまいにひどく胸打たれてしまう。しかも凄まじいことに、そういうことを描いておきながら、最終的にこの映画は、「それでも私は映画と共にある」ということを、肯定的にも否定的にもならず、「そう在るべきもの」として私たちに伝えているのだ。

『瞳をとじて』。表象として立ち現れる映画についての映画。そしてそんな表象の風景が浮かんできてしまうほど、不可分な域にまで映画と繋がった者の物語。映画とともに生きることの切実さが胸に去来し、切り離すことができない存在が自分の中にあるという、歓びとも恐れとも悲しみともつかない異様な感情を知り、そのことに打ちのめされる。自身と映画の関係性に想いを馳せることで、言いようのない感動につつまれ、あふれる涙を止めることができなかった。
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