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男はつらいよ 知床慕情のbluetokyoのレビュー・感想・評価

男はつらいよ 知床慕情(1987年製作の映画)
4.0
シリーズ終盤期の傑作である。テーマは、「余剰人員」である。これは、前回、幸福の青い鳥のなかでセリフとして出て来た。寅さんは、とらやの余剰人員だね、というセリフである。このときは、そのまま、ウヤムヤになってしまったが、今回は、はっきりと描写している。

冒頭は、おいちゃんが肺炎で病院に入院しているところから。おいちゃんがいないので、とらやは休業だが、このままだと、まずいので、外から職人さんを呼んで、とにかく、とらやを開店させることにした。そんなとき、寅さんが帰って来るのだ。

あけみさんも加わって、ここは、みんなで一致団結して、難局を乗り越えよう、というときに、寅さんはやることがないのである。もちろん、実際、やることがないなんてことはない。やれないなりに、配達だっていいし、家の片づけでもいい、食事の用意でもいい、探せば、絶対にあるはずなのだ。でも、寅さんみたいな人は、自分が活躍できるポジションでなければ嫌なのであり、誰でもできる配達など、さらさらやる気はないのだ。

ただ、寅さんの身になって考えてみると、仕方がないともいえる。なまけたいから配達をやらないのではない(前回、幸福の青い鳥ではマドンナのために嬉々として配達をやっている)。誰でもできる配達を引き受けてしまうと、まさに、とらやでは、「余剰人員」であるということが、バレてしまうからだ。もう、はなからバレているけど。

で、次第に、みなから、邪魔扱いされ、結局、最後は、切れて、ビール飲みに行こうぜ、となってしまうわけである。

寅さんのそうした行動を見て、おばちゃんは、マジ怒り + 激怒り

店、もうやめよう! バカバカしくなっちゃったんだよ。あたしたちが一生懸命働いたって、(寅さんが)あのざまじゃない!

店の外で、そういったことを立ち聞きしてしまった寅さん、がっくりして、その足で旅に出るのであった。行き先は北海道である。

北海道で、ひょんなことから、獣医(開業医ではなく酪農家、牧場専門)、上野順吉さん(三船敏郎さん)と知り合い、自宅に招かれる。

順吉さん、なぜか、いきなり、日本の農政、この場合は、酪農について、熱く語り出す。

曰く、牛は経済動物になってしまった。乳量が月、300キロを下回ると、すぐ屠殺場行きだ。駄目な牛は殺してしまう!
役に立たたんやつは切って捨てろ! ということだ。

寅さんは、まさに、切って捨てられる側の人間なのである。(だからこそ、順吉さんは、寅さんを家に招いたともいえる)

そんなとき、一人娘のりん子さんが、帰って来る。なんでも、順吉さんが、結婚に猛反対で、駆落ち同然で東京に行ってしまった、ということらしい。これだけ聞くと、世間でよくある、娘を持つ親の親バカであると思えるが、あとで、これは大きな間違いだとわかるわけだ。

その前に、りん子さんを竹下景子さんが演じている、ということも、実は意味がある。前回、口笛を吹く寅次郎のときでは、最後まで、寅さんの正体を見破れなかった、ある種、愚かな女性を演じていたのだ。おそらく、竹下景子さんは、そういう女性専門の役柄ではないかと思う。
この作品でも、結局、最後まで、寅さんの正体を見破れずに、憧れたまま終わるのだ。

その夜? 近所のスナック、はまなすのママ、悦子さん(なにくれとなく順吉さんの世話を焼いている)、りん子さん、順吉さん、寅さんで、ささやかな食事会。
その席上で、りん子さんは、3カ月前に離婚したことを告げる。あとで考えれば、ああ、やっぱり、という感じである。
順吉さんは、たんなる親バカで結婚に反対だったわけではないのだ。

あとは、寅さんの北海道の暮らし、というか、バードウォッチとかであるが、りん子さんが、次第に、寅さんに惹かれていく様子が描かれている。

とらやでは、以下のエピソード。タコ社長と娘のあけみさん。タコ社長が、税務署がどうの、金策がどうのとぶつぶつ言っているので、あけみさんが、それじゃあ、印刷機でおカネを刷っちゃえば、と冗談を言ったら、タコ社長が怒り出した、という話。

実は、りん子さんが寅さんに惹かれていくのと、あけみさんが、おカネ、刷っちゃえば、というのは、やや似ているといえば似ているのだ。
つまり、実生活、仕事を離れてしまえばいいということだ。

このとき、満男くん、貧乏はやだねえ、……、伯父さん(寅さん)の真似をしたんだよ、とさくらさんに言う。まさに、正鵠を得ている、図星なのである。

もう一つ、エピソード。りん子さんが、単身でとらやを訪問する。そのときのさくらさんの話である。子どものころ、アリとキリギリスの童話が出て来た時、キリギリスが寅さんなので、悲しくて泣いてしまった、ということだ。この話は、りん子さんに刺さったことだろう。後半の伏線になっている。寅さんというのは、甲斐性なし、経済観念がないのである。
ひょっとすると、なんの説明もないが、りん子さんが失敗したという結婚相手というのは、寅さんのように、楽しいが、生活力がない人間だったのかもしれない。生活が破綻して離婚に至ったのではないだろうか。

一方、北海道、順吉さんの家である。順吉さんと悦子さんの話。

悦子さんは、スナックはまなすのママさんなのだが、オーナーではないのだ。で、オーナーは、はまなすの売り上げが低いので閉店することにしたらしい。(実際は、売却したのでオーナーが変わるということか)

ということで、悦子さんは、いまの仕事を辞めて、北海道の暮らしを引き払い、新潟に帰る、ということだ。

知床の自然を守る会のバーベキュー。りん子さんだけ招待されていたが、順吉さんも付いて行く。

参加者は、眉をひそめて、あんなやつ、呼んだ覚えはないぞと口々に言うのだった。
ちなみに、順吉さんは、えらく嫌われている。なぜ、嫌われているのかというと、単純に、好かれようと努力しなくても生活できるからである。
なぜなら、獣医という専門性の高い職業に従事しているのは、この地域で、彼一人なのだ。
好かれようと努力していない順吉さんが、なぜ、バーベキューに参加しようと思ったのか。悦子さんも参加しているからだ。

席上で、悦子さんは、みんなに、はまなすを辞め、北海道を引き払い、新潟へ帰ることを告げる。

それを聞いた順吉さんは言うのだった。行っちゃいかん! 惚れているから、行っちゃいかん!

このシーンは、男はつらいよシリーズの中でも、屈指の名シーンだ。「惚れている!」という言葉にすべてが集約されるように出来ているのだ。
「惚れている」という言葉のなんと重いことだろう。

悦子さんは、北海道では、「余剰人員」になってしまったのだ。経済的には、切り捨てられるべき人になってしまったのだ。

これを覆すのが、「惚れている」という言葉なのである。
生活や仕事や人生のすべてを賭けている重い言葉なのだ。だから、経済的なことを覆してしまう強さがあるのだ。

その夜、りん子さんが一人でいるとき、寅さんは会いに行く。事実上のお別れなのである。別れは言わないのだが。
それを知っていて、りん子さんは、寅さんに何かを言いかけて、その言葉を飲み込んでしまう。その言葉は、おそらく、「行かないで」だったに違いない。
その言葉は、順吉さんの「惚れている」という言葉の重さがないことがわかったので、言い出せなかったのである。

寅さんは、帰るために、駅へ向かうのだが、車を運転してくれているマコトという男に、順吉さんを見習って、「愛している」と言ってみろ、というようなことを言う。
マコトは、「愛している」と言ったことがある。りん子さんに言ったのだ。でも、振られた、と返事した。
りん子さんは、そのあと、(ただ、おもしろおかしいだけの)男と結婚し、東京へ行って、生活が破綻して、離婚したわけである。
りん子さんには、「愛している」という言葉の重さがわからなかったのだ。
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