KnightsofOdessa

Holly(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Holly(原題)(2023年製作の映画)
3.0
[ベルギー、その奇跡の子は奇跡の子なのか?] 60点

2023年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。Fien Troch長編五作目。同級生から虐められているホリーには、同級生で自閉症のバート、妹のファーン以外友人がいない。そんなある日、嫌な予感がして学校を休んだその日に、学校で火災事故が起こって10名の生徒が亡くなった。9ヶ月後、生徒や遺族たちがその悲しみの整理をしている頃に、用務員の夫を持ち自身も学校で働いているアナは、当日欠席したホリーの電話に目を付ける。この子、奇跡の子かもしれない!と。アナの猛烈な勧めに従って遺族遠足会にボランティアとして参加したホリーは、内気で大人しい生徒とは思えないほどの外向性とコミュ力を発揮して、すぐさま時の人となる。そうしてホリー(Holly)は聖人(Holy)として祭り上げられていき、自分の外側で形成された"ホリー神話"を楽しみ苦しめられることになる。冒頭から事故までの流れを知っている観客とホリー本人からすると、彼女が奇跡の子であるというのはアナの妄言にしか思えないのだが、"え?私って奇跡の子…なの?"というホリーの疑問(これが観客の疑問とも繋がっている)を最後まで引っ張るのが上手い。実際に彼女はそれっぽい言葉を投げかけているだけで、傷付いているクライアントが勝手に過大解釈しているようにも見えてくるが、一方で教えていない呼び方を言い当てるなどのスピっぽいこともしていて、中々判別が難しい。

ホリーが時の人となり、貧乏で誰にも見向きもされない生活から脱したことを嬉しがって、クライアントから差し出された金を受け取るのに対して、アナは不妊や夫をホリーが簡単に救ったことに嫉妬していく。最初は邪な考えて彼女を誘ったにも関わらず、二人の立場はいつの間にか逆転してるのだ。二人の関係性、ホリーの純粋な善意とアナの経営者的目線から利他主義の限界のようなものを垣間見ることができる。また、大したこと言ってないホリーを簡単に信じてしまうことから、人間の弱さみたいなものも描かれている。とはいえ、全編を通して良く言えば挑発的、悪く言えば目的のはっきりしない映像が並んでいるだけなので退屈ではある。しかも、そうやって宙ぶらりんにし続けた結果、ラストでフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「The Power of Love」のリミックスがかかることで答えを出してしまっているのがなんとも。流石にこれにはズッコケてしまった。
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