垂直落下式サミング

呪怨の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

呪怨(2002年製作の映画)
5.0
映画をみていて、怖すぎて泣いたことが三回あるんだけど、そのうちの一本がこれ。本当に怖い。きらい!
音がもう怖い。家のなかを歩くだけでガサゴソ…、階段を上がればギシギシ…ミャーオ!そんでギギギギギギギギギギ!からのアッァァァアアアアアアアアアッ…!つぶれた声帯から絞り出すような伽耶子の声、木造の日本家屋が軋む音、生活音にしては不快なピッチが呪いの発現へと繋がっていく。
心霊に呪われる理不尽と、現実にもある理不尽とが、隣り合わせのまま接合している、いや~なストーリー。猟奇殺人事件、家庭内暴力、ネグレクト、動物虐待、老人介護、精神衰弱による発狂など、実際に起こりうる世の中の穢れと、作り事のなかで登場人物にふりかかる呪いの不条理さとが、かなりの力業で有機的にリンクするつくりが出来すぎていて、ちょっと心に深刻なダメージを与えるのでやめてほしい。
やっぱ伽耶子の階段降りは、万全の状態でみないと。這いながら近づいてくる血だらけの人という単純なインパクトに気圧される。オリジナルビデオ版のように、怖がるのがオッサンじゃない点も評価ポイント。
恐ろしいことになる前には、画面に暗い影が落ちて、なにやら希望をみるときは画面が光に包まれる視覚効果。笑っちゃうくらいに表現主義。これが一番こわい!
でも、そもそも彼女や俊雄くんは被害者であるはずで、生前のことを考えれば可哀想な人たちではある。クライマックスでは、苦痛のなかから逃れようと、こちらに助けを懇願する仕草をみせるが、その不幸に同情の眼差しを向けたら、さらに深淵へと誘われていてドン引き。呪怨に、なまっちょろい優しさは通用しない。
この世界そのものを無差別に呪うほどの苦しみとは…。想像もできない永遠の孤立がそこにある。そして、霊魂の心にまで触れたものは、これと同じ苦しみを引き継ぐことを余儀なくされるわけだ。
あの家の穢れは、これとほんの少しでも関係した人間の人生を侵蝕する。踏み入れてはいけない。染み付いたらはなれない。逃げてもダメ。立ち向かってもダメ。こんなん、防ぎようがないじゃん!思い付いても作るなよ!こんなの!
恐ろしい世界のなかで、恐怖に怯える女優さんたちも素敵だった。奥菜恵、伊東美咲、上原美佐、市川由衣などなど、まさしく00年代っぽい顔ぶれ。みんな鼻筋がまっすぐ通っていて顔の輪郭がシャープ。顔立ちの整ったスレンダー美女がトレンドだった頃だなあ。うーん、死に顔もかわいい。
エンディングの推定少女も、歌詞がストーリーにマッチしていて素敵。でも、この頃はハロプロ勢の台頭や宇多田・浜崎・安室・倖田・鬼束の歌姫連立政権に押されて立場を奪われていたヤスシ冬の時代!
秋元康プロデュースなのに、おニャン子やAKB系みたいに成功した例じゃなくて、ロリコンの欲望を満たすために使い潰されて消えていった短命ユニットだってのも、今見ると感慨深い。あーかない、いえーの鍵ー。



【~メモ~】

「部屋きたな。」
「俺んち、今こんな感じだよ。」
「死ね。」

うちの人とラブラブだったころ(?)に一緒にみた。荒れ放題の呪怨ハウスのなかをカメラが映す、確かそのときしたやり取り。でも、こんな呑気にいられたのは序盤だけで、布団の下から出てくるところとか、生活のなかに領域侵犯してくるのが怖すぎて、案の定ふたりして寝れなくなった。
当時は、映画ってなんやかんや最後はハッピーエンドで締めて、こちらを安心させてくれるもんだとたかを括ってたから、そんな状態でも鑑賞を続けたんだけど、結局なんにも根本解決しないんでやんの。
お前も苦手なくせに借りてくるなって、めたくそに怒られましたとさ。ホラー禁止になった思いでの作品。