コマミー

ありふれた教室のコマミーのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
4.3
【教員の苦悩】




いやぁ、これは度肝抜かれた。

これは予告の時点で「この映画はやばい」という雰囲気は流れていたが、本編を見て改めて深く感じた…「この映画はやばい」

"学校という狭き社会"の中で起こる、"教員と保護者そして生徒間"で起こる"デカい対立"。"盗難事件"が起き、最初は小さい事で終わるはずの出来事が、"たった一つの落ち度というか…行い"で、大事になり、主人公である"カーラ"の立場が陥れられるというとても不運な物語である。
……先程私は「不運な物語」と表現したのだが、これも現実的な表現の書き方ではない。実際このような"悪循環"は、世界中で起きている気がするからだ。それは学校のみならず、オフィスだったり…そこに組織というものがある限り、このような悪循環は起こり得るのだ。

だが…だがだ。やはりこのような学校という空間は特に悪循環は多い。日本で言ういじめ問題も、結果的には司法的な区切りが不十分である為、この物語ような激しい対立が起き、最悪には揉み消されるか、学級崩壊もあり得るような状況が考えられる。
そしてカーラのように、"中立的な立場にいなければならないという固定概念"が存在する教師という立場は本当に大変だなと感じた。"思った事を言えない"というか…"ルール"というものは時にこの時に"凶器にもなり得る"なと心から感じた。カーラの受け持つ教室の生徒に"オスカー"という男の子が出てくるのだが、このカーラとオスカーという2人の関係性がとても大事で、この2人の"最後の対面"がそんな"学校構造に対する抗議"のような気がしたのだ。

まさにカーラとオスカーは、この理不尽すぎる「学校」という小さな社会に対する共同戦線だったのだ。なぜオスカーがそこに介入する事になったのかは、本編を見てほしい。この子も本当に可哀想な子だったが、同時に強い度胸も持ってた強い子でもあった。

学校というものは、こう言った問題やルールに対して、適正に管理できる人物がいない。だからこそ起きてしまった残酷な出来事。まるでこの映画は、学校のみならず、社会全体の人々の疑念も定義しているような作品だった。

この「ありふれた教室」は、実は広く言えば「ありふれた社会」だったのではないかと思うと、ほんと下手なホラー映画よりも怖かったと感じた大傑作だったなと心から感じた。

皆さんもこれを他人事と感じず、少しでも多くの方に見てほしいなと感じました。
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